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肉親を突然喪った人に対し、何を「すべきでない」か。

友人が、肉親を亡くして苦しんでいる。

自分も2014年に、死因は異なれど親を亡くしている。その時に経験したことを思い出しながら、「遺族として、やってほしくないこと」を書き記してみようと思う。

誰もが、いずれ肉親を喪う。タイミングは選べない。いきなり状況が激変した場合、周囲との圧倒的な情報格差が生じる。「自分の苦しみを、誰にも理解してもらえない」という考えに落ち込みやすい。

同様に、周囲も「どう接していいか」「どう接しては“いけないか”」がわからない。このテキストは、n=1なのでもちろん思い込みを多分に含むが、その格差を少しでも解消しようと試みるもの。

内容的に、前提条件をある程度細かく書く必要がある。少し長いですが、まずは前提から読んでください。

■前提

2014年2月10日未明、突然死という形で母を喪った。父親がいないので、唯一の親を亡くした形だ。
 
くも膜下出血で、事件性はない。前日まで普通にLINEをしていて、翌朝すでに息を引き取っていた。知るよしもない僕は当日、朝から赤坂見附へ取材に出かけ、11時すぎに母の勤め先から着信を受けて異変を知った。そこから、母の暮らす広島にどうやって帰ったか未だに思い出せない。

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その後、僕に起こったことは、こんな感じだ。
 
●2014年3月末で、会社を辞めた
「迷惑をかけた母に恩返しする」を働く目標に置いていたので、働く意味を見いだせなくなった(当時勤めていた会社は寛大にも送り出してくれた、感謝してもしきれない)。

●立ち直るのに、2年以上かかった。
しばらくは何をするにも虚しさを覚え、フリーの仕事も手がつかなかった。幸いというか、遺産もあって当面の生活には困らなかった。が……。
 
●貯金をすべて使い果たした
預金は使ってしまった。莫大な額ではないし「こんなカネ持ってても意味ない」ぐらいに思っていたため、生活費に加えいろいろな使い方をしたら2年ほどで無くなった。ドイツ取材やドバイ観光など財産になっているものも多く、全くの無駄遣いではないのだが。

親の突然の死が、これほど自分を蝕むのには面食らった。
 
大前提として、皆さん(ここでは遺族以外の全員を指す)とても優しい。悪意を持って傷をえぐるような人は、周囲には居なかった。
 
以上が前提。ここでは「元・遺族」として当時を思い出しながら、何を「したくなかったか」「してほしくなかったか」を書いてみる。

■説明したくなかった

思い起こすと、弔問が一番しんどかった。死の翌々日から始まり、毎日代わる代わるいろいろな人が母宅を訪れる。
 
2日間、起きている時間は毎分毎秒悲しみ、後悔し、打ちひしがれている。それでも、死から2日しか経っていない。にも関わらず、弔問客が来るたびに「母の死」を説明しなくてはならなかった。
 
母は自宅で、自分の預かり知らぬ時間に死んだ。遺体を目の前にしても、現実として受け入れられていない。だが、弔問客には「受け入れた」前提で説明しなくてはならない。
 
話すほど、母の死を受け入れざるを得なくなる。「死んだ」前提で話すのだから当然だし、誰にも悪気がないことは理解しているが、説明するたびノドに焼けた鉛を押し込まれる気分だった。

■解決済と思ってほしくなかった

葬儀が済み、死後の諸手続きをする中、2014年2月22日に東京・国立競技場(取り壊し前)に行なわれたゼロックス・スーパーカップのお誘いをいただいた。差出人は、Jリーグのサンフレッチェ広島。母が20年勤めた会社である。
 
試合では、奇跡のようなことが起こった。選手全員が喪章をつけてプレーし、前半4分に得点を挙げたら、その喪章を天高く掲げて母を弔ってくれたのだ。

当時はキャプテン佐藤寿人選手以下、青山敏弘・千葉和彦・ミキッチ・水本裕貴・塩谷司・清水航平・柴崎晃誠などJ1優勝メンバーがほとんど残っていた(当時、ご厚意でいただいた画像が以下。クレジットはサンフレッチェ広島さま)

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広島、急逝したスタッフに捧ぐゼロックス杯「ようやく見送ることができた」

試合終了後、高萩洋次郎選手からは「お母さんに」と言われて、ゼロックス杯のメダルを渡してもらった。今でも、遺影の前に大切に保管している。
 
その後も、クラブからは有形無形の手厚いサポートを得た。選手からの施し、チームからの愛情、ここまでされたことは一生の財産であり何物にも代えがたい。衷心より感謝していることを、重ねて記しておきたい。
 
その上で、この時点でも僕はまだ母の死を受け入れられていなかった。どうしてもこう思ってしまった。

一区切りついた、って顔をしなきゃいけないんだろうか

何一つ、片付いていなかった。母とは35年一緒だった。父と4歳で離婚し、女手一つで妹と僕を養ってくれた。中学で不登校になったり、浪人したり、就職留年したり、めちゃくちゃ迷惑をかけながら育ててもらった。なのに、ムスメの顔すら見せられないまま。母は、一人でこの世を去った。

自分がしっかりしていれば、母は長生きできた。何度もドロップアウトしては這い上がったが、浮き沈みなく稼げていれば、母は定年後もフルタイムで働く必要はなかった。株などで資産形成できていれば、母の家賃ぐらいは補助でき、もっと良い生活をさせられた……。

いろいろなことを思い、当時の未熟な僕は「誰も理解してくれない」と思い込んでしまった。

■放置されたくない

我ながら面倒くさいやつだなと思うが、正直に書く。放置されたくなかった。

説明したくないし、解決したと思ってほしくないし、放置されたくない。「誰も自分の苦しみを理解できない」と思いこんでいたのに、というより「だからこそ」放置されたくない。理解に飢えていた。

思い起こせば、この時期は活発にSNSを更新していた。Twitterはどうだかわからない(昔のアカウントは閉じた)けど、Facebookはバカみたいに毎日更新し、今でも履歴をたどれば残っている。

「誰にも理解してもらえない」と思っているけど、その事実を認めたくない。誰かに「このまま100パーセントを、説明抜きに理解してほしい」と思っていたのだと思う。

■肉親を突然喪った人に、どう接すればよいのか?

上記を踏まえて。あくまでn=1で恐縮なのだけど、
 
・説明を求めない
・解決した前提で接しない
・放置しない

この3つを守るだけで、遺族の心持ちは違うと思う。

説明を求めない。とかく、混乱の最中にある。聞かなくてもわかることは、他の誰かに聞いてほしい。死因とか時刻とか死の状況は、そのうちわかる。悲しいに決まっているし、体調は悪いに決まっているし、後悔しているに決まっているし、今後の見通しなんてないに決まっている。

解決した前提で接しないでほしい。そんなに簡単には、受け入れられない。「話題にしない」のが穏当。当人が口にしたときがタイミング。すぐ来るかもしれないし永遠に来ないかもしれない、それは当人が決めること。

放置しないでほしい。「誰にも理解してもらえない」と思うイコール、理解に飢えているということ。何らかの形で、「放置していない」というサインを出す必要はあると思う。僕の場合、Facebookに「いいね!」だけくれてコメントもDMも送らないでいてくれたり、何も聞かずにメシに誘ってくれた広島の友人たちの行為がそれだった。彼らには、本当に助けられた。

■結び

重ねて本記事はn=1である。苦しんでいる当人の助けになるかは、正直わからない。けれど、当人を囲む多くの人たちには、何らかのヒントになると思う。

冒頭にも書いたが、肉親を亡くすタイミングは誰にも選べない。誰かが苦しんでいるときに、何をしていいか、してはいけないかを理解するのは難しい。その理解の手助けになれば、と思って書いた。

別れは、誰にも訪れる。それは、明日かもしれない。明日でないとは誰にも言えない。そして、突然訪れる別れに対応しきれる人はそう多くない。

苦しんでいるあなたと、苦しんでいる友人を支えたいあなたに向けて。

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