第6球 「大陸の人間」
「あの~、僕のクラスに朴っているんですけど、もしかしてM岡さんの弟ですか?」
高3になり、バスケ部副主将としてスタートを切った春、新入部員のKが俺に聞いてきた。
実はこの春から朝鮮学校へ通っていた弟が、俺の通っている高校へ進学してきたのだった。
おそらく朝鮮学校出身であるからか、通名の「M」ではなく本名の「朴」で入学していたのだ。
「お、おぉ…。そうやで、俺の弟やで…」
いくら自分が朝鮮人と言うことを表に出していないとはいえ、自分の弟を弟ではないと言い切るほど俺は非情ではなかった。
そういえば二年前のこの時期、同じく朝鮮学校へ通っていた従兄弟が「金」という本名で入学してきて、しかも同じクラスになった。
当たり前のように親しく話してくる彼との関係を、俺は「いとこ」だと周りに説明していた。
しかし、「だから俺も同じ朝鮮人やねん」とは堂々と言えなかった。
ある時、世界史の授業で教師が「朝鮮の神話に出てくる動物で神の言いつけを守り女性に変身した動物は何か?」というクイズを出題してきた。
「熊ですよね?」と答えて金が正解した。
世界史に自信のあった俺は強烈に嫉妬したと同時に、同じ朝鮮人なのに答えられないという自分を情けなく思ってしまった。
「いとこである」と説明しても、必ずしも自分が朝鮮人と言うことにはならない。親の片方が日本人かもしれないし、国籍も違うかもしれないからだ。
しかし、兄弟は違う。それを説明した段階で99%自分も朝鮮人であると感付かれる。
だが、二年前とは違うのは、きっかけさえあれば自分が朝鮮人であるとカミングアウトしたいという欲求が確かにあるのだ。だからなのか、自分の弟であるということを思ったより素直に言えた。
朝鮮人であるとはやはり言えなかったのだが。
部活で5対5の練習が始まった。俺がボールを持った時に、同じチームになったKは俺に向かってこう叫んだ。
「パス!パスください!
朴のお兄さんのMさんっ!!」
は!?
誰やそれは!?
そんな呼び方あるんか!!?
俺は一瞬うろたえ、パスを出すのをミスしてしまった。
「あかん!もうあかん!カミングアウト包囲網の完成や!周囲の者にそんなわけ分からん呼ばせ方してるような曖昧な生き方なんて嫌や!
俺は朝鮮人ということを宣言しよう!おらぁ!!」
その日の練習後、俺は「卒業までに必ず自分が朝鮮人だと伝える!」と決意した。
ただ、二年も使っており「M」と既に認識している友人にいまさら「朴」と呼べというのはちょっと酷かもしれない。
それにクラスのみんなの前で大々的に発言するというのもなにか抵抗がある。
俺はそう考えて、仰々しい本名宣言は避け、とりあえず親しい人にカミングアウトしていくことを優先させることにした。
「よし、とりあえず同級生にはちゃんと伝えよう。でないと俺は一生後悔するかもしれない!」
そう思っていた矢先、俺は意外な人にまずカミングアウトすることになった。
俺は課外授業の一つとして中国語の授業を高2から選択していた。小学生から三国志が大好きということもあり、授業が設けられた時には迷いもなく真っ先に俺は選択した。
その授業を受け持っていたのが70歳以上になるM田先生(「老師」と呼んでいた)だった。若い時は中国へ日本帝国軍兵士として出兵し、そこで中国語を身に付け、現在はそれを大学や高校生に教えていた。
5月のゴールデンウィークもあけた授業の日、俺は先生と授業終わりに二人っきりになる機会があったので前から聞きたかったことを聞いた。
「老師はどうして中国語の教師になろうと思ったのですか?もっと他にやりたい事とかなかったのですか?」
すると老師は少し間を置きつつも、俺の目を優しく見つめながら答えた。
「君も習ったように、我々はあの国に本当にめちゃくちゃな事をしたんだよ。本当にめちゃくちゃだった。
僕はそれに対して自分なりになんとか償いをしたいという気持ちがあってね。あの国で身に付けた中国語を教え広めることで、学び関心を持ってもらいたいんだ。」
俺はこの言葉を聞いた時に、むしょうに老師に自分はその戦争によって生まれた在日朝鮮人であることを言いたくなった。
この人なら理解してくれるかもしれないと思った。
「そうですか、そういった理由があったんですね。
…老師、実は、僕は日本人ではないんです。
僕はその戦争に関係のある存在なんですよ。
お祖父さんの時代に日本に渡ってきて、日本で生まれた、
在日朝鮮人なんです…」
身内や同胞以外の人に、生れて初めて自分が朝鮮人であることを自分の声で伝えた瞬間だった。
M老師はそれを聞くと、まるで全てを察したように笑みを浮かべた。
「そうか!そうやったんか!
中国人や君たちの民族には本当に悪いことをしたからねぇ。言いにくかったと思うがよく言ってくれた。
君は大陸の人間なのだな。どうりで体格がいいと思っていたよ。ははは。」
M田先生なら言っても大丈夫だ、理解してくれるに違いないという俺なりの安心感もあったから言えたのだと思うが、それでも自分の言葉で伝えることは緊張した。
しかし、俺は言ったのだ。
それでも、声を絞りながらでも自分は朝鮮人であると言えたのだ!
同級生たちの進路が決まりだした秋頃、とうとうクラスで仲の良かった友人たちに伝える日がやってきた。図書館へ数名を呼び出した。
やたらにまぶしい夕陽を背に、彼らは俺の前に座った。
「まぁ、呼び出したのは、その、大したことではないんやけども、ちょっと聞いてほしいことがあってな…」
「なんやねん?あらたまって?いきなりびっくりするやん?」
当然ながら友人たちは戸惑っていた。
俺はもう一度頭の中で整理し、伝える内容を反芻して気持ちを落ち着かせようとした。
「実はなぁ、俺、
日本人じゃないねん。」
ストレートに朝鮮人やねんとは切り出せなかったが、とりあえず口火は切れた。
「へ?何?どういうこと?」
「うそやん!めっちゃおもろないわ!もっとボケをひねってくれよ!笑」
日頃、芸人よろしくボケてばかりいたせいか、この俺の渾身のカミングアウトを単なるボケを解釈されてしまっているが、俺はとりあえず続けた。
「いや、ボケとかそんなんじゃなくて…。
俺は日本人じゃなくて日本で生まれたけど朝鮮人やねん。祖父母の時代に日本へ来た在日朝鮮人やねん。」
言った!とうとう言った!
しかも割とスムーズに!
しかし、それと同時に一気に緊張した。彼らからどういう反応や言葉が返ってくるのかに怯えつつあった。
伝えると彼らが俺から離れて行くのではないか?と思っていたことが、今、目の前で起こり始めるのではないか?とビクビクしていた。
「え、そうなんや…。全然知らんかったわ」
「でも、ほとんど変わらんやん!俺らと一緒やん!」
「そんなこと気にするなよ!お前はお前やし!」
反応は意外にも俺の不安をよそに好意的なものが返ってきた。
「おお!そうやねん!ほとんど一緒何やけどな!
ただ、お前らとは仲いいし、これからも付き合い長いやろうから伝えておきたくてな!まぁ話はそれだけや!聞いてくれてありがとうな!」
そう答えて、俺は満足げに一連の「儀式」を終えた。言って良かった。
これで俺も後ろめたさを感じずにあいつらと堂々と付き合っていけるぞ。晴れ晴れとした気持ちで帰路に着いた。
だが、同時にどこかで違和感も感じていた。確かに伝えた。後ろめたさもないし、堂々とした。
しかしなぜか引っかかりがあった。
自分が望んでいたものと少しだけ違っていたのだ。
「ほとんど変わらんやん!」
「そんなこと気にするなよ!」
彼らの言葉が頭をよぎった。
「ん?待てよ。俺はいったい彼らにどう感じてほしかったんやろう?
単に今までの関係を築けていければいいと思ったのか?
M田老師の時となにか違うぞ?」
しかし、違和感はあれども答えをしっかりと導きだすことはできなかった。
それから普段の学生生活に戻り、受験勉強を経て大学合格を無事果たした。
後は卒業を迎えるだけになったある日、俺は心にゆとりができたせいか、その時の「違和感」の理由に遅まきながら気付いた。
そうかっ!おれが欲していたことは単に今まで通り仲良くすることじゃないんや!
変わっていない部分を理解してほしかったんじゃない!
変わっている部分を理解してほしかったのだ!
気にしたくなかったわけではない!
むしろ気にしたかったし、気にしてほしかったのだ!
朝鮮人と日本人という歴史的背景や社会的な状況を理解しつつ、それでもお互い仲良くしよう!と言い合いたかったのだ!!
M田老師のように俺の事を朝鮮人として接してほしかったのだ!
もちろん友人たちに差別意識とかそういうものはなかったし、彼らなりの優しさであり仲間意識があったのだろう。
しかし、朝鮮人であるということは病気でもないし隠しておくべきものでもない。
気にして当然だし、それを理解して初めてお互い気心知れる仲になるのだと思った。
俺は、自分が朝鮮人として日本で生きていく難しさを実感しつつも、初めてカミングアウトしたことの解放感と満足感で満ち溢れていた。
夕日がいつもよりもまぶしく俺を照らしてるように感じた。
そして、高校を卒業した俺は、とうとう宣言することになる。
そう、世界に、自分に宣言する時が来るのだ。
今日もコリアンボールを探し求める・・・
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