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恥じない行動

★これは2019年11月11日に行われた幼保無償化除外京都緊急集会において発言されたものです。★

あにゃしみか。こんばんは。
長女を第二初級学校へ通わせているパクといいます。
本日は、大先輩たちがおられる中、保護者代表という事で僭越ながらスピーチさせていただきます。
ただ、代表者と言いましてもやはり自分の事を語ることしかできませんので、また、専門的な話は他の方がしていただけると思いますので、一人の学父母、父親としての言葉でお話します。


私は、ウリハッキョ(朝鮮学校)へ通ったことがありません。大学まですべて日本学校です。
今では自分が朝鮮人だと自覚してますし、このように皆さんの前で堂々と話せていますが、ここまでくるのにはなかなか厳しいものがありました。
小・中学生の頃は、名前は日本名だけど自分が何人か分からない、言葉しゃべれない、そもそも朝鮮人であることを実感する機会が全くない、そんな環境で育ってきました。
そして、自分が何者か分からないということは、自己否定、つまり自分なんていなくていいんじゃないか、なんとなく生きてたらいいんじゃないか、という気持ちにすらなっていました。


しかし、幸運にも同胞の集まりに出会い、学び、仲間を作ることで、自分なりの民族性、そして自己肯定感を身につけていきました。
私は必要な人間なのだ、仲間がいるのだ、こう生きていくべきなのだ、そのように人生に対して前向きに肯定的になっていきました。
いわゆるアイデンティティの回復です。


さて、そのように民族性を獲得していった私は、今年の4月からウリハッキョの学父母になりました。
娘が通いだしてから気づいた事が二つあります。


一つ目は、教育水準がやはり高いことです。うちの娘は特にアリラン教室など歌や踊りが好きみたいですが、それも歌舞団というプロが教えてくれています。
また、まだ娘はハングルの読み書きはできませんが、音はめちゃくちゃ覚えてきます。
先日も「ソンセンニム(先生)たちに手紙書く!」と言いながら、「おんじぇなこまっすみだ!(いつもありがとうございます)」とウリマルの音をひらがなで書いていました。
わかりますか?
同時に二か国語を既に操っているわけです。

二つ目は、幼児教育こそ民族教育の核であるという事です。
私が数年かかって獲得してきたことを、彼女はたった数ヶ月で身につけてしまってるんですね。
「私は朝鮮人やもん~♪」と自然に言うわけです。
もはやジェラシーです!


また、娘が学校の話をしてくれたり、先生の真摯に書かれた連絡帳を読むたびに、私は間接的ではありますが、まるで自分も通っているような日々を過ごしています。私もウリハッセン(学生)状態なんです。(カタツムリってタルペンイっていうんですよ!?笑)


日本に住んでいながら、ここまで自分を自然に朝鮮人であると受け入れられる環境はウリ幼稚教育こそ最適なんだと感じざるをえません。
さて、そんな普通の日本の幼稚園やベビーシッターや簡易託児所よりも、私にとっては最適で最高の朝鮮幼稚園が、今回無償化制度から除外されました。


消費税はすでに10%分払ってますが、無償化適用されてません。
また、学生をたくさん朝鮮幼稚園に入園してもらおうと日々活動している側からすれば、日本の幼稚園よりも条件的に不利になるわけで、もはやこの制度は単なる「悪法」ともいえる状況です。


政治とは、税金の配分の問題だと聞いたことありますが、その配分の基準は「価値があるかないか」です。
今回の無償化除外は言い換えれば、日本政府は私の娘にこう言っているわけです。
「日本の幼稚園のほうがいいよ。朝鮮幼稚園には価値がないよ。そんなとこ行く必要ないよ。チャンゴの音も、ウリノレ(歌)も、アリラン教室も、オモニ給食も、青商会がくれた制服も、タルペンイという単語も、価値がないよ」と。
しかも、それを公然と言っている。


確かにお金の問題ではありますが、私はこれがたった1円の差であっても戦うべきだと思います。
なぜか!?
朝鮮人として生きることに価値がないと言われている意味では何の違いもないからです!
単なるお金の問題ではなく、もはや先代たちが守ってきた朝鮮人の尊厳の問題です!


さきほども流れていたTVの放送ですが、私も家で家族と見ました。最初、自分が映っていたからか「やったー!」と上機嫌でしたが、見終えた後、娘は私にこう言いました。
「私が行ってるウリハッキョはあかんとこなん?」と。
たった4歳ですよ!
その娘に、社会がそう言わせたんです。


私は、自分の子供たちだけでなく、今の学生たちが大きくなった時、「あの時大人たちは何をしていたの?」と聞かれた時に、堂々と「闘っていたよ!」と言いたい!
恥じない行動をしたい!


先日、息子のトルチャンチ(1歳祝賀会)がありました。
トルチャビで弓矢を取りました。娘の時はお金でした。
これは、もう「お金を戦って勝ち取れ!」という意味でしかないですよね!
子供たちからのメッセージです!


また、幸運にもここには、「かわいそうだからとか助けてあげなければ!」という単純な感情ではなく、「この問題は私たちの問題だ!日本人の問題だ!」という意識で取り組んでおられる頼もしい日本の方もたくさんおられます。


共に闘いましょう!
団結しましょう!
尊厳を守りましょう!
誰かに任せるのではなく、
自分たちで勝ちとりましょう!


最後まできいていただきコマッスミダ(ありがとうございます)!

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