見出し画像

家族にも自分にもOKを出す

 すごくざっくりと、整理もままならない感じではあるが、
 実家のことを書き綴ってきた。  前回の記事🔽

 別に 誰から言われたわけでもないのに、私の頭の中には
「とにかくあたたかい家庭を築きたい」「家族のコミュニケーションを大切にしたい」思いがどうしても強い。
→それは、実家のギスギスが嫌で仕方なかった生い立ちの中で自然と作られた「信念」。
 その思いが、「教育に携わる仕事をしたい」となり、今までの働き方につながっている。そしてそこでも、やはりその強い「信念」が発動しているし、自分自身の子育てにも繋がっている、ということを あらためて自覚した。

 と、同時に、ずっと、ずっと、 頭のどこかに こびりついて離れない、もう一つの思い。「実家の家族のこと、どうにかしなくていいのだろうか??」というものが、思いの外、煩わしくてしんどいことにも気づいた。

 私の子供たちからすると、私の両親は 「じいじとばあば」であり、兄は「おじ」なわけで、
その辺りが、なんともむず痒いというか、言葉ではうまく言い表せないモヤモヤだったり、ネガティブな感情となってしまったり、、自分でもよくわからないことになってしまうことがあった。(今となっては、これがある種の、ちょっとした生きづらさ、だったのかな〜とも思う。)


 例えば、私の母親が、私の子供たちを見て
「あんたは いい旦那を持ったね、子供たちも生まれつきこんなにお利口さん」
「私とは違う人生でよかったさ」「育てやすい子だから、よかったさ」
「だから 楽でいいね、私の人生なんて・・・」なんて言い出そうもんなら

もう、今すぐ子供たち連れて帰りたい、寄るな触るな、と思ってしまうのだ。
(確かのその通りかもしれないけれど、私だって私なりに家族みんなが幸せになれるような努力や工夫をしている。いつまでそうやって「自分だけ不幸」って言い続けるの??と母親に対して腹が立ってしまった。)

でもふと我に返って
「うちの子たちからしたら ばぁば、との関係もあるのにな・・・」
「私の一方的な感情だけで 母と孫を離すなんて良くないよな・・・」
「私が我慢すべき」「母は、自分の子育てでしんどい思いをした分、孫に愛情を持って幸せだと思ってもらうことも大事なんだよな〜これが親孝行かな」

などと 思ってみたり、でもやっぱり 母に会うと、毎回嫌な思いをする自分がいる・・・というのを繰り返してきた。

 また、以前にも書いたが、現在も相変わらず兄と両親の確執は絶えない。実家に遊びに行くと、いやでもその様子が目に入る。。


「親孝行だと割り切って実家に行く、孫を見せに行く」
        VS「自分の気持ちに正直に実家とは距離をとる」


 私の頭の中では この葛藤が何年も続いていたが、最近になって、ようやく、うまく対処できるようになってきた。

 きっかけは、いくつかあるが、大きなものは、色彩心理学の資格取得の際に、講師の先生から受けたカウンセリングでの一場面。

 なぜ、この資格を取りたいと思ったのか、という話になり、私は今までの生い立ちのことや 学校現場での経験や子育てを通じての「家庭教育」への思いを話した。すると、先生が、

「なるほど。今までのいろんな思いがあって家庭教育や子育てにアプローチしたい思いがあるんですね。そして、実家のことをどうにかしたい、もっと良くなってほしい、あたたかい家族になってほしい、と昔も今も思っているんですね??それは、takaさんにとってワクワクしますか??」と私に問いかけた。

 「うーん。。。正直、実家に行くことについては、ワクワクはしないですね・・・でも、自分の仕事や、子育てに対して、今受講しているこの資格を活かしてやってみたいことなど思い巡らせると、そこにはワクワクを感じます。。。」と答えた私。(あんなにモヤモヤしていたのに、するっと喋った自分に驚いた)

 「それが、takaさんの中にある答えかもしれないですよ!ワクワクすることを優先させてみたらどうですか??せっかく、育児の傍こうして勉強して資格を取りに来たんですしね。」と先生。


 この一連のやり取りで、目の前が、パッと明るくなって道が拓けたような感覚を得た。「ワクワク」を大事に。
 そっか、もっと楽しんでいいんだな、自分軸でいいんだな、と思えた瞬間だった。
 その後、仕事や家庭での様々な出来事や経験を経て、現在の私は、だいぶ、「いい距離感で実家とおつきあい」できるようになった。

 両親のコミュニケーション不良は 相変わらずだが、もう、積極的に間をとりもつことはしない。
 「いろいろ大変だね、でも頑張っているんだね、お疲れ様。たまにはゆっくり休んでね、体を大切にね」と軽めの寄り添いに留めるようにしている。

 距離が適切になったおかげで、私も親を拒絶する気持ちに出会わなくて済むので、敬老の日や誕生日には 今までの感謝を伝え、「元気でね」と 自然に言えるようになった。

 相変わらず、理解しがたい兄の言動についても「兄だっていい大人だし、こっちがどうこう思う必要もない」と すっぱり割り切ってしまえば、もうなんとも思わない。血の繋がったきょうだいではあるが、別の人格を持った、それぞれ一人の人間だ。


 私は、「私」を生きる。 
 負の連鎖は、絶対に持ち越さない。

それでいい。 OKを出せたら、憑き物が取れたように、楽になった。


いただいたサポートは、このnoteのおよび、私が代表をつとめる地域団体「食と農の学び舎BASE」の運営に充てさせていただきます♩