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Almond

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久しぶりにできた息抜き。観劇。心が震えた。

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私はゴニみたいな人間だった。きっとなんでも感じすぎて苦しくなって、やり場がなくなる。だからこそアーモンドはすんごく刺さりました。
最後のユンジェの戦争があったり、いろんなことがある世の中で観ているだけなんだって言葉が苦しかった。

あまりにも近くにいる人は恐怖で動けなくなり、遠くの人は何もできないと何もしない。

何もできない自分に不甲斐なさを感じた。何かできないのか。本当に何もできないのか。ユンジェはゴニのために刺されても立ち向かった。私は誰のために何のために立ち向かえるのだろうか。

新型コロナウイルスの影響をモロに受けながら、必死に開けてくれたこの舞台の幕から何を受け取り、何を人生に活かせるのか。ただ観るだけじゃ舞台を作ってくれた方々に失礼だとも感じた。

感情がないユンジェと感情を感じすぎるゴニ。

私はユンジェのように人を決めつけないで本質を見られる人間になりたい。ユンジェのように悪いと思ったことを伝えられる人間になりたい。ユンジェのように芯のある強い人間になりたい。

ユンジェは感情のないロボットだとされてきたけど、感情はないけどだからこその別の視点で人を見れていて、きっとその視点は感情を得るとともに感情にかき消されていってしまってもユンジェの中に残り続けると思う。
人を見た目で決めつけず、馬鹿にせず、ただ真実を見る力。愛おしい者同士が対立してもどちらも傷つけない。どちらともの肩も持たず、自分の真実に生きる。そんなユンジェの在り方ってきっと本当の真実を知っている気がする。

知っているのに知らないふりをして何もしない。

心に深く刺さった。自分が正しいと思うことを貫ける、他人に流されない人間になりたい。でも、知ってるのに知らないふりをして何もしてない。そう思った。そうしっかり言えるユンジェが好きだった。

私はユンジェのおばあちゃんが最後にユンジェを守ったことが好きだった。ユンジェのおばあちゃんは近すぎて恐怖で動けない人じゃなかった。だからこそユンジェの心にはいつもおばあちゃんがいたのかもしれない。愛。永遠。冒頭に意味をなくして白紙になったこの2つの言葉は成長につれて、事件を重ねるにつれて、ユンジェの中で意味があるものに変わっていく。そして、おばあちゃんが愛の答えを教えてくれる。かわいさを見つけることなんだって。かわいさって綺麗とか愛おしいとかそんなようなことなら、ラストのお母さんが意識を戻した時の美しい涙が私には"かわいく"感じた。きっとユンジェもそうだったのかもしれない。

ユンジェは感情を得、友を得、真実に生きた。

これは喜劇なのかもしれない。でも冒頭の、

本当のところそれが悲劇なのか喜劇なのかは、あなたにも僕にも、誰にも永遠にわからないことだから。

これに尽きると思う。
感情を得ることで、真実が見えにくくなる。知ってることを知らなかったことにしたくなる。これはユンジェにとって悲劇だし、そもそもユンジェのバックボーンは悲劇的だ。

ユンジェが最終的に喜劇だったと思える人生を私は送って欲しい。

物語が喜劇が悲劇か言わないことで、よりこの物語の共有ができる。そう冒頭に言った通り、これはユンジェが書いた回想なのかもしれない。喜劇も悲劇もある意味感情で、感情を介さないことでこの物語を理解できるということだったのかもしれない。私には到底不可能だ。だって嗚咽するほど泣いてたから。冒頭の儚さに泣き、ユンジェの悲劇に泣き、ゴニの悲劇に泣き、ユンジェとゴニの友情に一喜一憂して泣き、ユンジェの家族模様に泣き、この混沌とした世の中に何もできないのか自分の不甲斐なさに泣き、こんな世の中で何かを伝えようとしてくれた感動で泣き。身体中の水分が涙に変わった気がする。

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ここからは内容の感想じゃなくて構造とかとかの感想。上で太字にした台詞は覚えてる限りだったりパンフレットから引用だったりするから、間違えてることは許してください。

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まずセットが愛おしすぎるほど本の羅列で、見えないところにまで本があって、ユンジェの本屋さんがありありと目に浮かぶようで、その本が凶器に変わって、架け橋に変わるのが新しくて堪らなかったです。
例えばただの箱が椅子とかベットとか机とかいろんなものに変わるのはよくある話だけど、本という小道具にさまざまな役割を持たせているのが、本の中の世界で、本が紡いだ世界だということを実感して愛おしいセットでした。

台本も最高で、ここまで何も気が付かなくても物語として成立して、気がつくと冒頭から伏線の嵐。キーワードを印象付け、そのキーワードからも展開が読めるそんな台詞が至るところに散りばめられていて、苦しかったし、普通に読みたい。出版してください。買います。

至る所に散りばめられている現代的なダンスもダンスのことなんかわからない私でも何も伝えたいのか伝わるもので。でも、複雑で現代的で、美術館にいるような気分にさえなれるそんな気がした。例えば愛の意味を白紙にする遊びでの表現は抑揚と頭の中のゲシュタルト崩壊が表情とダンスからも伝わってきて、感情がある私にも感情がないユンジェの思うところが伝わってくるようでした。

セットが本と箱と椅子と長細い梯子を横にしたような箱だけだから、所作の一つ一つが本当に美しく感じられて、堪らなかったです。
お葬式での所作とか何をやってるのか分からなくなっちゃいほうなのに、お葬式出たことないからわからないけど。なんだか想像できて、病院の椅子も、路地裏も、倉庫のような巣も、苦しいほど観えて、堪らなかったです。

照明も、うわっ照明すごいっ‼︎綺麗な表現‼︎って観劇中に思うほどお芝居を邪魔しているわけではなく、でも今思い返してみたら細かくて美しくて、私たちのイメージの補完を綺麗に手助けしてくれてて、縁の下の力持ちってこういうことなのかなって思いました。

音もすごく綺麗だった。うるさすぎず、強弱があって、実際に韓国にいた気がした。目の前でユンジェとゴニとみんなが生きているような気がした。

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少し長めの作品で後半のお客さんの集中力が切れてきたのが悔しかった。だってガサガサしてるんだもん後ろで。横の人はたくさん座り直すから前見えなくなるし〜😢😢

でも後ろの方から嗚咽が聞こえてきて、同じ気持ちをみんなで共有できてるんだなって嬉しく思った。最後に7回くらいカテコして、みんなでせーのでありがとうございました。って言ってくださった時に、後ろからも聞こえて、本当にたくさんの方が関わってるんだなって。カンパニーだなって思いました。私もいつか。そちら側に行きたい。

思春期の子どもに大人がいいずらいこと言うヤングアダルト文学。届きました。

人間関係でよく悩むけど、誰かを深く愛して、その人からも深く愛されれば、浅い関係をの人を気にする必要なんてないって希望が見えた気がします。

舞台を愛してます。

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はぁ語った語った。満足しました。次はラ・カージュ・オ・フォール語るかもね。舞台観てみてください。古典でも。小劇場でも。知ってる俳優さんが出てるからでも。きっと人生を豊かにしてくれます。

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