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B'z の功績はハードロックをラーメン化したことだ

 90年台。日本の音楽シーンでは小室哲哉に代表されるダンスポップが大ヒットしていた。小室哲哉はテクノサウンドやユーロビートを日本へ「輸入」した。

 ここで言う「輸入」とは、外国のものを買い付けてくるという文字通りの輸入ではなく、日本風にアレンジして日本人に紹介するという、どちらかというとインポートではなくコンバートのような意味合いだ。ちょうど中華料理として中国本国にはないラーメンが誕生したように、日本独自の文化として根付かせたというような意味合いだと思ってほしい。

 そんなダンスポップから派生して誕生したB'z は当初、小室的ダンスポップにギターサウンドがブレンドされたものとしてシーンに登場したが、ある程度ヒットを飛ばした後、一気にハードロック路線へと転向した。

 このとき、日本人は初めて日本のハードロックというものを耳にしたと言っても過言ではない。

 それまでにも日本にロックはあった。直輸入ではないロックはビート・ロックとして独自の発展を遂げ、80年台にニューミュージックと呼ばれた音楽の裏で、巨大なヒットを生み出したりしていた。

B'z 以前のハードロック

 わたしは90年台に高校生で、ロックバンドをやっていた。ハードロックが好きで本場のハードロックを文字通りの意味で輸入したものを聞いていた。当時はスーパーギタリストブームで、MR.BIG、EXTREME などの新進のハードロックが流行っていて、そこから入って次第にLED ZEPPELIN やDEEP PURPLE などへさかのぼるような聴き方をしていた。

 当時僕らのようにハードロックを愛好し、あわよくばプロミュージシャンになりたいと思って活動を始めたバンドマンたちはおそらく、「日本でハードロックは無理だ」と思ったことがあるだろう。

 X Japan(当時は単にXだった)は、聖飢魔Ⅱとは違う方法で日本にヘビーメタルを持ち込んだ。あれは一つの希望であったけれど、それでもなお、様式美を伴わないハードロックが日本に定着するのは難しいという感触があった。もちろん当時の日本にハードロックのバンドがなかったわけではない。しかし歌詞の大部分を英語にするなど、その内容は海外のハードロックをそのまま持ってきて日本人がやっているというもので、完全に日本のハードロックとして定着するには至っていなかった。少なくとも、わたしはそのように感じていた。

 そこにB'zが登場した。いや、登場していたB'zが、ハードロックをやり始めたのだ。

B'z がもたらしたもの

 まずはこれを聴いていただきたい。

 言わずと知れたハードロックの代表的な曲。ディープパープルの「BURN」である。これを日本語でやるのは無理だと思われた。

 そこへB'z が持ち込んだのがこれだ。

 なんだこれは。そっくりではないか。

 誤解されそうなので書いておくと、わたしはB'z がパクリだと指摘したいわけではない。翻案として少々やりすぎである感じは否めないけれど、B'z が試みたのはディープパープルみたいなサウンドを日本語でやり、なおかつ日本のメジャーシーンで評価を受ける、という90年台には不可能だと思われていたことへの挑戦だ。そして彼らはそれを成し遂げた。

 これは松本氏のハードロックへの深い造詣と、稲葉氏の類まれな日本語センスが融合して初めてなし得た偉業と言える。わたしを含め多くのロックを志す者たちが度肝を抜かれたであろう。こんな方法があったのかと。

 しかし彼らの提示した方法論は真似できるものではなかった。稲葉氏の歌詞の感覚は独創性が高すぎ、近づくことが困難を極めたのである。だから日本の音楽シーンに、「B'z みたいなサウンド」でB'z 並みに売れ、生き残っているアーティストはいない。(2000年台の初頭に似たものはあったが生き残らなかった)

 続いてこれを聴いていただこう。

 エアロスミス。

 これはサビまで聴いてほしい。エアロスミス。おんなじである。

 ちがう!わたしはパクリを糾弾したいのではない。あくまで、稲葉氏の歌詞の感覚というものを感じてほしいのだ。エアロスミスの曲に日本語を乗せられるのかと考えてみれば、それがかなりの難題であることはすぐにわかる。しかしそれをやってのけ、しかもできたものは日本の音楽として斬新なものになっている。エアロにそっくりだがこれは間違いなく「日本のハードロック」なのだ。

 ハードロックだけじゃないぞ。もっとポップな音だってある。

 ジャーニー。思えばこの手のサウンドも日本ではなかなか定着しなかった。こちらのほうがハードロックよりは日本語との親和性がありそうだが、それでも難しい。もう少しポップな方向へ行けば山下達郎などがやっているが、行き過ぎると歌謡ポップになってしまう。

 そのジャーニーもB'z にかかればこうだ。

 おみごと。

 いやパクリだと糾弾しているわけではない。そっくりだ。そっくりだが注目すべきはその歌詞。アレンジと楽曲がジャーニーであっても、稲葉氏の歌詞によってB'z になり、日本で生まれた日本流のジャーニーになっている。

 ディープパープルがあるのにツェッペリンはないのか。無いはずがない。

 どうだ。もうイントロを聴いただけでB'z の曲が浮かんだ人もいるのではないか。

 天才である。

 もちろんパクリだと糾弾したいわけではない。むしろパクリだと言うのであればやってみたらよろしい。ツェッペリンをパクってこの曲を作れるのか。無理である。

 松本氏はツェッペリンが大好きなようで、ジミーペイジのギターソロをまるごと自作曲の中にぶっこんでいたり、リフをそのまま持ってきて曲を作ったりしている。パクリではない。フレーズサンプリングで曲を作る手法と似たようなものだ。それを生演奏でやっているだけである。

 こんなものも行けちゃうのだ。

 もうおわかりだろう。B'z はハードロックを日本へ「輸入」したのだ。買い付けてきて売るインポートではなく、咀嚼して日本人向けに作り替えるコンバートによって、ハードロックをラーメン化したのである。

 極めつけはこれだ。90年台B'z の大ヒット曲。代表曲と言っても良いほどに売れた曲。これはB'z のを先に聴いていただこう。

 歌えるほど覚えている人も多かろう。初めて聴く人もぜひじっくり聴いてほしい。見事な楽曲だ。すばらしい。売れるわけだ。

 そう。モトリークルーは輸入されていたけれど、日本ではヒットするまでには至らない。

 B'z の手にかかってこそラーメンなのである。

 インドやネパールのカレーが日本ではカレーライス化し、イタリアのスパゲティも日本では「和風」などと言って醤油風味が生まれたりする。それは商品ではなく文化の輸入だ。文化の輸入はインポートではなくコンバートを伴う。それが成功するとラーメン化し、中華料理の代表格であるラーメンは中国には無いといった事態まで生まれる。

 B'z によってハードロックはラーメンになった。これこそがB'z の功績である。この成功があり、日本人がハードロックサウンドに慣れたからこそ、ONE OK ROCK のような直輸入的なものがヒットする土壌ができたという側面もあろう。牛丼から焼肉を経て和牛ステーキへと至る。それでもなお多くの日本人はテキサスのステーキには歯が立たない。

 B'z の功績はかように大きいのだ。今回、B'z のサブスク解禁によってSpotifyで聴き放題になった。ぜひこの機会にB'z のサウンドを振り返ってほしい。そして松本氏の本場ロックへの造詣の深さと、稲葉氏の圧倒的言語感覚がギリギリチョップなバランスでウルトラソウルしていることを味わっていただきたい。

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