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わたしを創った音たち ~#音楽の履歴書

 ささいな笹さんがこちらの記事で提案された「音楽の履歴書」というアイデア。とっても面白くて、ちょっとわたしも振り返ってみようかなと、書いてみることにした。

音楽との出会い

 父はオーディオが好きだったので、おそらく比較的音楽に触れる機会の多い家だったろうと思う。わたしがおむつ姿で密閉型のヘッドホンをしてオープンリールテープデッキの前に立っている写真が残っている。何を聴いていたのかはわからない。記憶にはない。でもデレク・アンド・ドミノスなどを音だけ真似した歌詞で歌っていた記憶はある。

 自分で選んで聴き始めたのはテレビ番組でかかる音楽だった。多くはアニメやドラマの主題歌。妙なものになるとニュース番組のオープニングテーマなんてものもあった。

小学校編(歌謡ポップス)

 小学校に上がるか上がらないかぐらいのころ、テレビで放送されたスターウォーズを見た。そのテーマ曲は衝撃的で、初めて見る宇宙の映像(当時はそれが作られた物だとは知らず、実際に宇宙空間で撮影されたものだと思っていた)とともに脳裏に焼き付いた。

 同じころ、紅白歌合戦で野ばらのエチュードを歌った松田聖子。出会ってしまった。生涯の歌姫に。わたしは多分5歳か6歳かそのぐらいだったはずだ。その紅白を見たことは覚えていないのだけれど、ゴンドラでこの歌を歌いながら降りてきた聖子ちゃんを覚えている。

 それからラジオでヒットシーンを追うようになった。ラジカセで放送を待機し、聞きながら曲のところだけ録音する。そんな風にしてランキング上位の曲を集めた。当時はテレビのザ・ベストテンを始め、テレビにもラジオにもヒットチャートの上位を集めて放送するものがいくつもあった。そこで琴線に触れたものを好んで聴きあさっていた。聖子ちゃん、明菜ちゃん、河合奈保子、C-C-B、THE ALFEE、オフコース、安全地帯、etc。

 小学校の高学年で、F1にはまった。そのF1グランプリのテレビ番組のテーマ曲になっていたのがTHE SQUARE のtruth という曲だった。THE SQUARE はわたしが中学に進学したころにメンバーが入れ替わり、T-SQUARE となった。わたしのライブ初体験はこのT-SQUAREであった。

中学編(フュージョン)

 T-SQUARE でフュージョンというジャンルを知り、インストゥルメンタル(いわゆる歌がない音楽)というものに触れた。このジャンルにはほかにどんなのがあるだろう、と調べ、カシオペアに出会った。カシオペアはこのころメンバーチェンジをして新生カシオペアになったばかりだった。わたしはこのカシオペアのライブに何度か足を運んだ。そこから渡辺香津美、高中正義などのギターインストを経て海外フュージョンに入って行く。

 中学に入ってわたしはベースを始めた。T-SQUAREやカシオペアをコピーしていた。そのころ隔月刊だったベースマガジンを読むようになり、ジャコ・パストリアスを知った。この辺からはプレイヤーを追ってアーティストを知る、という流れになる。ジャコのソロ作から彼の所属したウェザー・リポートへ行き、さらにパット・メセニー・グループへ。パット・メセニーは彼そのものが気に入ってしまったのでジャコがいなくなった後のものも追いかけた。

高校編(ロック~プログレ)

 高校に上がると周りにもバンドをやりたくてギターを始めるやつが現れた。時はスーパーギタリストブーム。どれ、いっちょ聴いてみるか、と聴いたMR.BIG にドハマった。驚異的なベーシスト、ビリー・シーンが在籍していた。彼を追ってデヴィッド・リー・ロス・バンドを聴く。デヴィッド・リー・ロスは元ヴァン・ヘイレンのボーカリストで、ソロデビューしたとき、ギターにスティーヴ・ヴァイ、ベースにビリー・シーンを配したドリームバンドで活動していた。ここからスティーヴ・ヴァイに傾倒し、彼がその音楽性を磨かれたというフランク・ザッパの沼に落ちる。

 一方で学校ではバンド、バンドという話が盛り上がるも、ギタリストばかりでドラムやベースがいない。ドラムは吹奏楽部から連れてきたやつ、ベースはわたし、という感じで、わたしはそのころ学内にあったほとんどすべてのバンドでベースを弾いた。これに絡んでメタリカメガデススキッド・ロウヴィンス・ニールイングヴェイ・マルムスティーンエクストリームボン・ジョヴィなどを聴いたし、演奏もした。ライブを見に行ったのはMR.BIGとボン・ジョヴィぐらい。

 高校二年の中頃、東洋的な風貌のジョン・マイアング(当時はジョン・ミュングと表記されていた)というベーシストのいるドリーム・シアターに出会う。当時ドリーム・シアターはプログレメタルと呼ばれていて、このときわたしは初めて「プログレ」という言葉に出会った。プログレッシブ・ロック。しかし調べると、プログレのマニアみたいな人たちはドリーム・シアターをプログレとは認めていなかった。あんなもんはプログレじゃねえ、みたいなよくあるアレ。

 ドリーム・シアターもライブを見に行ったけれど、その後わたしは本格プログレにどっぷりはまってしまい、それまで聴いていた音楽はほとんど聞かなくなってしまった。ここで出会ったのがEL&Pイエスキング・クリムゾンラッシュマグマなど。特にキング・クリムゾンの衝撃は強烈で、こんなものすごい音楽があったのか、となにもかも吹き飛ばされてしまった。今まで聴いてきたものはいったいなんだったのかとさえ、思った。

 このころ出会ったキング・クリムゾンの「RED」というアルバムは、今も生涯最高の一枚だ。人類史上最高の音楽作品を選べと言われたらわたしは迷わずキング・クリムゾンの「RED」を選ぶ。わたしにとってこれはもはや音楽ではない。生きることのすべて。母の胎内で外界から守られていた命が引きずり出され、赤ん坊はそのことに激怒して全力で泣き叫んでいる。怒りとともに生まれてからすべての希望が潰えて闇の中に死ぬまで。その一生を描いたアルバムだと、勝手に解釈している。一曲目の「RED」からラストの「Starless」まで、わずか五曲に命のすべてが入っている気がした。

 思春期のモヤモヤや理不尽な大人への憤り、社会への憎悪やそれに抗えない自分への怒り。そういったものを悶々と抱えては、REDを爆音でかけて吹き飛ばした。世界は腐っているがおまえは生まれてしまった。だから星一つ無い漆黒の空を見上げて命を閉じるまで燃え続けろと言われている気がした。大げさではなく、キング・クリムゾンが生きるということを教えてくれた。

 プログレを知ってからは、わたしはプログレと松田聖子しか聴かなくなった。不思議なことに、追いかける音楽がフュージョンになろうとメタルになろうとプログレになろうと、聖子ちゃんだけは聞き続けていた。世界など燃え尽きてしまえ、とかわめき散らした直後にピュアピュアリップスとか歌っていた。聖子ちゃんがいなかったらわたしはとっくに気が狂っていたかもしれない。

その後(ジャズ~AOR)

 高校を卒業して音楽の世界に入った。プログレ熱は少しおさまり、好きなバンドのメンバーが参加している別の作品やソロワークなどに手を出した。イエスから、ジョン・アンダーソンのソロ(ほとんど宗教音楽)、リック・ウェイクマンのソロ(演劇みたいな音楽)、キング・クリムゾンからはジョン・ウェットンがらみでエイジアビル・ブラッフォードのソロ(奇天烈なインスト作品)などを聴いた。込められた思想は置いといて、音だけを聴いて面白がっていた。

 本格的にベースの演奏力を向上させるべく、再びジャズ・フュージョンに戻っていった。中学のころに聞いていた音楽から、さらにジャズ寄りのものへと遡った。マーカス・ミラーからデビッド・サンボーンマイルス・デイヴィス、マーカスのいる後期のマイルスから初期のマイルスへと遡り、ビル・エヴァンスレッド・ガーランドジョン・コルトレーンなどを愛好し始める。

 一方でアレンジ(編曲)に興味を持ち、そういう視点で音楽を聴き始める。デビッド・フォスターをはじめとするAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)を端から聴き、ボズ・スキャッグスボビー・コールドウェルはほとんど聞いたような気がする。さらにスティーブ・ルカサーからのTOTO。TOTO はポップになったイエスという感じがした(ぜんぜん違うような気もするけど)。

 そして出会ったジノ・ヴァネリ

 フリーアカウントだと最初からは聴けないだろうか。この曲のイントロの一番最初をぜひ聴いてほしいのだ。完全に松田聖子…。そう。1981年のこの作品は、当時の日本音楽シーンにいたアレンジャーたちに強烈な影響を与え、そっくりなアレンジが歌謡シーンに登場することになった。

 これとか。

 この辺に影響が感じられますね。ちなみに高校編で病みかけたわたしが歌ってる「ピュアピュアリップス」はこの曲。

 ジノ・ヴァネリはどの曲もアレンジがかっこよく、歌もいい。ハマって聴きまくった。

 このころは趣味でプログレのヘンテコなバンドをやりながらジャズ・バーで演奏したり、マイナーなミュージシャンのレコーディングに参加したりしていた。ちょっとポップな曲をやるバンドもやってデモテープを送ったりとか、インディーズアーティストっぽい活動もしていた。聴いている楽曲はやっている楽曲とはぜんぜん関係ないものが多かった。

 そして次第に、まだ聞いたことのない音楽を求め始めた。ヤニークスコヴァルティナなど、なんとなくエキゾチックな音楽をやっているアーティスト、以前noteでも紹介したタートル・アイランド・ストリング・カルテット、ベースでヒーリングミュージックみたいなものをやっていたマイケル・マンリング(その後ぜんぜん違うスタイルの普通のフュージョンみたいになった)など。

 他にもレーベルで、ウィンダム・ヒルとECMはレーベルそのものへの信頼でぜんぜん知らないアーティストの作品を買ったりもした。マイケル・マンリングやリッピントンズはウィンダム・ヒルで知った。ECMの方はパットメセニー、キース・ジャレットチック・コリアなどを持っていたけれどその辺はレーベルに関係なくアーティストの名前で買っていて、ECMだから、と買って知ったアーティストはビル・フリゼールテリエ・リピダルぐらいかな。

 ここでちょっと聴いてもらいたいやつを紹介しようかな。ウィンダム・ヒルレーベルから、タック&パティ。タック・アンドレスとその奥さんパティのユニット。タック・アンドレスはギター一本でとんでもない演奏をするギタリストで、タックのギターでパティが歌うという夫婦ユニットなんだけど、あまりにもステキ。

 これはビル・エヴァンスも演奏した「My Romance」なんだけど、なんだろうこのステキな時間。

 もう四千字超えてるのにまだまだあれも書いてない、これも書いてない。特に邦楽にぜんぜん触れていないぞ…。

 まあいいか。他にもカナダのフュージョンとかデンマークのジャズとかスウェーデンのシンガーとかいろいろ追った。ピーク時はCD三千枚ぐらいあった。引っ越しで大幅に処分してしまって、ちょっと後悔したものもあったのだけれど、なんといまやほぼ全部Spotify で聴けちゃう。しかしキング・クリムゾンはほぼない。

 最後に、先日ふと思い出して聴いたらやっぱり好きで、今どうしてるのかな、と調べたら二年前に亡くなっていたディディエ・ロックウッドを。

 もともとは中学時代のところに書いたマグマってバンドにいたバイオリニストだけど、ジャズ方面に行ってすばらしい作品をたくさん残している。ここでは最高に心地良い「Someday My Prince Will Come(いつか王子様が)」を。

 冒頭の笛のような音、バイオリンなんですよ。バイオリンのフラジオレットという、ギターでいうハーモニクスみたいな奏法。バイオリンが歌う囁く自由自在。ベースは名手ニールス・ペデルセン

現在(雑食)

 現在はもう特に積極的に音楽を追うことはしていない。自分が過去に聴いてきたものをときどき思い出してブーム再燃、みたいな感じでハマる。このディディエ・ロックウッドもそうだし、聖子ちゃんは相変わらず聴き続けているし、チック・コリアなんかも再燃で聴いてますね。昔はバンドのやつばかり聴いてたけど最近はピアノソロのチック・コリアを聴いてる。

 あとはととさんのこの記事で再燃した小沢健二にはまってます。

 ディディエ・ロックウッドで最後って書いたけど一番最近はまってるこれをやっぱり最後にしよう。

 一番、二番、三番と繰り返しているように聞こえるけどどんどん転調していっている。ギターで書いた曲だなあという感じの、ギターの楽しさが現れている曲だと思う。足場を切り替えながら自在に音の中を導いていく。聴いているわたしたちは彼に手を引かれて最初とはぜんぜん違う場所に連れていかれるのだけれど、それにぜんぜん気づかない。もしかしたら絶対音感がある人はこの楽しさを感じにくいかもしれない。わたしは相対音感なので自分の中心にある「ド」を移動させながら彼についていってとても楽しい。

 まだまだ書いてないアーティストで好きなのがどっさりありますが、流れとしてはこんな感じでしょう。

 音楽はまちがいなくわたしを創っているとても重要な要素です。こうして振り返ってみると、あれを聴いていたから今の自分があるな、と思います。さて、今夜はなにを聴いて眠ろうかな。

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