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[戯言戯言日記]家族にまつわるエトセトラ

4月28日(水)

 家族について考えている。家族。何を思い浮かべるだろう。もちろん自分の家族。家族の家族。そのまた家族。家族は家系図の部分を占める部分木だ。

「万引き家族」という映画がある。あれに出てくる家族は特殊だ。

「ハウルの動く城」という映画がある。あの城でともに旅をしている連中は家族のようだ。

 いずれも、一つ屋根の下で寝食を共にしている血縁のない集団を描いた映画だ。それを家族と呼ぶのだろうか。

 家族について考えているのには理由がある。NOVEL DAYSという小説投稿サイトで、こんなコンテストが開かれているからだ。

 2000字で家族小説を書きましょう、というものだ。家族小説。「東京家族」みたいなものか。「万引き家族」みたいなものか。「ハウルの動く城」みたいなものか。

 家族といえば絆とかつながり、運命共同体といったワードが浮かぶ。同時に、家族愛を練り込んだ胸糞悪い偽善的ストーリーが浮かぶ。

 劇映画 猫も杓子も家族愛

 当然そんなものは書きたくない。家族っていいもんですね、と水野晴郎あたりがニタリ顔で言いそうなものは書きたくない。家族なんてそんなものじゃない。

 家族とは血縁を可視化した社会構造の単位で、ある種の呪縛だ。血縁とは因縁であり、遺伝子に刻み込まれた呪いだ。どんなに嫌悪しようと血縁関係を否定することはできない。離縁することは可能だが、そんなものは戸籍上の処理でしかない。親や子を拒絶しても遺伝子を共有しているという事実は消しようがない。生まれ落ちた以上誰かの血縁であり、誰かの遺伝子を引き継いでいる。それは生まれながらに細胞の奥深くに刻まれたスティグマだ。

 この、救いがたい「家族」という呪いを書こうと思った。もちろんこのコンテストでそんなものは望まれていまい。しかしもはや賞などどうでもいい。家族を描くのであればこの血縁の絶望をこそ描きたい。

 そのようにしてこの超短編「昼下がりの居間にて」を書いた。

 タイトルは団地妻もののAVみたいだけれどそういう要素はまったくない。家族の内側にわだかまるズレはやがて取り返しのつかない事態へと急降下する。これがわたしの、家族小説だ。

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