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中二病アラフィフ #呑みながら書きました

3か月に一度目を覚ます生き物のようになってきたワタクシ。呑み書きとそれ以外のバランスがゴブゴブの実になってきた感もあるわけですが早速、呑んでいきましょ。

わすれないうちに告知note貼っておく。マリナさんいつもありがと。呑み書きで書いてる文章が一番いいよね、という書き手が実は少なくないんではないかと思う。いい文章を書こうとせずにのらくらと書いたものが一番良かったりする、というよくある花し。構成も校正もせずに書いてみることで、自分の中にある自分でも知らなかった何かが見つかったりもするかもしれない。呑み書きはほんとに、すべての書き手にとって発見の場になり得ると思う。もちろん僕はそのような崇高な理由で参加するわけではないが。

さて、何を書こうかと思い悩みながら酒を飲み、傍らのPCでネットーサーフィンぐなどしていたら時間を忘れ、見たらnoteが下書きの途中のまま放置された状態ですでに30分以上経過していた。いかん。呑みながら書くはずなのにとっくに呑み終わってしまったので二杯目を入れる。

二杯目を呑みながら何を書くか考えていたらさらに30分以上経過し、二杯目も空になった。もはや何も書けないのかもしれない。

今年の年頭に、2024年にやりたいことを10個ひねり出した。10個出すぞ、と決めて出していったのだけど10個に届かず、最後はもう無理やりひねり出した。なのに。なのにである。今そこになかったことをいろいろやっている。年始にあれこれ考えても出てこないようなことが、無限に出てくるのである。何の予定を立ててもすべて予定通りにはいかず、想定外のことが次から次へと登場する。その時のフィーリングを大事にするから、当初の予定にないものであっても「これだ」というものが出てきたらそれに全振りする。もうかれこれ数十年そういう生き方なので、一年後どうなっているのかすら自分でもわからん。

数日前、長男が小学校を卒業した。この春から中学に上がる。それを機に自分が中学生だった頃のことを振り返っているのだが、僕の核になる感覚みたいなものはほとんど中学生の頃に作られたのではないかと思う。中学生の頃に出会い、大きく影響を受けたアーティストは今もずっと好きであり、今見ても大変なユニークネスをもっていて、誰とも違うと感じる。僕はとにかく誰とも違うその人の「色」というものに魅力を感じるのだが、その根っこは中学生の頃にすでにあったのだと思う。

最近強く思うこととして、これからの世の中では、ユニークネスが大きな価値を持ってくるのではないか、というのがある。Xはイーロンマスクの方策により、誰かの発言をコピペして閲覧数を稼ぐだけのハイエナみたいな連中がはびこり、クソ溜めみたいになっている。Youtube では人気コンテンツの真似をした二番煎じ三番煎じの出がらしみたいなものが溢れ散らかしている。そこへ生成AIみたいなものが登場し、誰でもお手軽にコンテンツ制作ができるようになってきた。この傾向はこれからもしばらく続くだろう。結果、大した個性を感じられないインパクトの薄いものが溢れかえる。すると、少々場違いなほどの特異なパーソナルを持った人というのが目立つようになるだろう。ユニークネスは大きな武器になり、自らの価値を向上させる要素になると思う。

このあいだ、文章表現に関して、そのユニークネスを獲得するにはどうすればよいか、という話をPodcastでした。とどのつまり安易な言語化を避けてとことん自分の言葉でなんとかしようとしろ、という話なのだが、これ文章表現以外でも同じことが言える。

なんでもググれば最適解っぽいものが手に入る時代だからこそ、その簡単に手に入るものを解とせずに、納得いくまで考え抜こうという話である。あらゆるアートはその結果として表現されるものだ。少なくとも僕はそう思う。すでに常識として答えが出ているような問であっても、それを改めて考え直す。結果得られた答えが間違っていようと、それが今の自分の答えなのであればそれを表現したほうが良い。

僕はすでにアラフィフで、数年後には50歳になる。でも培ってきた常識やこれまでの経験に基づく何らかの答えではなく、今改めて素っ裸の状態で懸命に考えて答えを出す。それが仮に間違っていようとも、それを発表していく。アラフィフにして中学生みたいなまっさらな気分に立ち返っている。

中学の時に初めて触れた英語とギター。今改めてこの二つに全力で挑んでいる。この歳になるとかえって気負いや衒いが無い。もはやかっこつける意味もなければ背伸びする体力もなく、これ以上ないほどフラットである。中学生の僕が自分の奥底に刻み込んでくれた何らかの感覚みたいなものが、今30年以上の時を経て僕を駆動している。

昔、所ジョージが「人生は50からだよ」と言っていたが、50の声が聞こえ始めて、なるほど本当にそうなのかもしれないと感じている。





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