見出し画像

[戯言戯言日記]不気味なアカウント

9月19日

 呑み書きとして書いてたのだけど割と真面目な話になったので戯言日記にした。

 最近考えているのはnote を含め、小説サイト等に作品を発表したとき、それはいったい誰が読んでいるのか、ということ。誰の書いたものかはともかく、面白いものを読みたい、という動機で探している人もいる。読む側としてかなり積極的な姿勢と言える。でもそういう人はかなり少数派だと感じる。多くは何らかのきっかけで書いている人を知り、その人が書いたものだから読んでみよう、というところから始まっているように思う。

 書き手を知るきっかけにはいろいろある。その人にフォローされた、その人が自分の書いたものにコメントをくれた、自分のフォローしている誰かが紹介していた、といったあたりが有力なんではないか。これらはすべてSNS的な効果といえる。作品がいかに優れていても、こうしたつながりがなければ読まれない。だからそのためにSNS的動きをしろ、というアドバイスが有効になる。読まれたければ読め、コメントが欲しければ自分もコメントをしろ、フォロワーを増やしたければフォローしろ。そうした動きをしているうちに、影響力の強い誰かが紹介してくれたりすると一気に広まる。

 そしてひとたび作品を気に入ってもらうと、次は「その人の作品だから」という理由で読んでもらえたりする。ファンの獲得、ということだ。重要なのはファンを獲得することで、そのためにSNSの活用はおそらくかなり重要な位置を占める。

 幸いわたしは、note での活動で、数は多くないものの、わたしの書くものを欲してくれるファン的な人と出会えている。それほど積極的に数を得ようとはしていないけれど、その中で注目してくれる人に出会えたことはとても得難いことだと思う。でもスキが欲しいからスキを押すとか、フォローしてほしいからフォローする、読んでほしいから読む、というような動機のすり替えに抵抗があってできない。読みたい人をフォローしたいし、良いと思ったものにスキをつけたい。わたしの書いたものをその人が読んでくれるかどうかは問題ではない。そういう位置を見失いたくないと感じる。

 そんなことを思っていたら、SNS的動きを全くせずに作品だけを置いておいた場合、それがどんな風に動いていくのかということに興味がわいた。

 そこで試してみることにした。もう一年近く前のことだ。

 新たにアカウントを作り、そこに作品を投下する。そのアカウントでは誰のこともフォローしないし、誰の作品にもスキを押さないし、誰にもコメントしない。プロフィールにも多くを書かない。どんな人かよくわからないアカウントでパーソナルが感じられるような投稿はせず、単に創作作品だけを淡々と置く。作品に関する説明もない。

 こうして書いてみると「いやいやそんなんじゃダメだろ」と思う。わたしも思う。でもこうやって置いたものも、誰かの目に触れる。小説のサイトでもnoteでも、誰にもフォローされていないアカウントの作品も目に触れる機会はある。わたしの興味は、この得体の知れないアカウントがその後どんなふうに推移するのかという部分にある。

 やってみてわかったのは、noteの場合、フォローしない、スキしない、コメントしない、というないない尽くしでプロフィールも謎というアカウントであっても、作品へのスキは付く、ということ。多くても3個ぐらいではあるものの、スキをつけてくれる人はいた。

 しかし、ある作品にスキを押してくれた人が他の作品を見てくれるケースは少なく、また、フォローしてくる人はいない。もちろんコメントも一つもつかない。

 これは非常に興味深い。自分が読む側でまったく知らない人の作品をいいなと思ったとき、たしかにスキは割と気軽に押す。でもフォローするかどうかは、その人のクリエイターページを見てプロフィールを読んだり、他の作品を読んだりしてから決めるような気がする。そうやってフォローしたことで相手もフォローしてくれてつながりができた人が多い。フォローするときに、そのアカウントのフォロワーがゼロだったとき、すなわち自分が一人目のフォロワーになるという状況のとき、そのハードルはかなり高いのではないだろうか。

 得体の知れないアカウントがSNS的動きをまったくしないまま作品だけをアップしていると、そこからの広がりはほぼ期待できない。どんな人かわからない人の作品はシェアもしづらい。作品を良いと思っても、その他の要素がブレーキをかけてシェアされないという事態がここに生じる。

 これはわたし自身を振り返ってもそうだ。よく知らない人の作品がとてもよかった場合にわたしは割とシェアするけれど、さすがにフォローもフォロワーもゼロというアカウントだとちょっとためらうし、たぶんシェアしないという判断をするだろう。その理由をはっきりとは説明できないけれど、なんだか気分が乗らない。フォロー、フォロワーがある程度いるということはその人と交流している人がいるという証で、なんというかちゃんと生きている感じがする。それがまったく無いのはやはりちょっと不気味だ。

 わたしはこの不気味なアカウントを昨年から運用していて、これまで淡々とただ作品を上げてきたのだけど、今回ためしに企画に参加してみた。企画タグをつけて作品を投下してみた。

 すると、その作品だけさすがにこれまでよりも数十倍レベルでビュー数が増えた。でもスキ数の伸びは渋く、他の作品とあまり変わらない。そして相変わらず、コメントが来ることはなく、フォローされることもなく、シェアされることもない。

 こうした実験を10か月ぐらい続けてきたのだけど、SNS時代、SNSでの基本的なフォローする、コメントする、シェアするという行為をまったく行わないアカウントは気味が悪く、レスポンスを得られないことがわかった。そこに作品の質はたぶんあまり関係ない。作品の質以前に、アカウントの向こうにパーソナルを感じられないと人は動きづらいのではないか。

 逆に、読まれるという要素を排除して淡々と作品を投稿するという行為が不気味な迫力を伴うということも感じている。

画像1


いただいたサポートはお茶代にしたり、他の人のサポートに回したりします。