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【個人的予選エントリーNo.2】あつ森の話

※本記事は「キナリ杯」に参加する為の個人的予選の対象作品です。特に関連性も無くただのケツ叩きなので予選どうこうという事は無視して読んで頂いて大丈夫です。

あつ森の話

あつ森の話。一体私はあつ森の何を語るというのか。

あつ森というのはご存知の方も多いだろうが、コンシューマーゲームであるSwitchのソフト「あつまれどうぶつの森」の略称である。「どうぶつの森シリーズ」の(ハードで数えた場合)本編6作品目にあたる。ちなみに直近で出ていたスマートフォンアプリ「どうぶつの森 ポケットキャンプ(ポケ森)」は、本編ではない別枠として認識されている。

私は発売日当日にダウンロード版でプレイを開始し、このGW中は少なくとも3日に渡って朝から晩までプレイしている。(※放置している時間も含む)
しかし発売日から1日たりとも欠かすことなくプレイしていた訳では無く、GWの少し前には一週間ほどSwitchの電源すら付けなかった期間がある。

あつ森の話なんていうのはここまで大衆に広まっている以上既に沢山世に出回っていると思うので、すばらしさを広めて購入者を増やそうという目的は今回は捨ておく。下記では該当作品を知っている前提で好き勝手書くので、「まあ読んでやってもいいかな」という暇を持て余した神々の皆様だけお楽しみ頂ければ幸いだ。

連続ログボが実装された平和でない世界

あつ森の制作会社は、皆さんご存知の「Nintendo」である。ソシャゲが全盛期であった混沌とした期間の間も長らく参入せず、近ごろになっていくつかの作品を投入してきた。「ガチャ」なるシステムが非情なまでの運用方法でガチ勢の財布と無課金勢の心を苦しめるソシャゲ界隈の中、比較的良心的な形態を設計してアプリ運営をしている(きた)と個人的に認識している。(※ガチャが無いという話ではないが、今回の本筋ではない為割愛する)

ソシャゲの多くは「連続ログインボーナス」というものを実装しており、Nintendoが出してきた多くのアプリでも例外では無かった。勿論ポケ森にもある。しかし、それはソシャゲという形態に合わせたものだと思っていた。私は初めてたぬポートにアクセスしてログボが実装されている事を知った時、このゲームに軽く絶望した。

そもそもソシャゲの媒体は日常的に持ち歩くスマホであり、いつどこでも緊急時以外はアクセスできる想定であるという事が1つ。そしてソシャゲのログボは「アプリを起動した時」に貰えるが、たぬポートは「ゲームにinしただけでは貰えない」というシステムが絶望に拍車を掛ける。
特に今作はマイルがベル以上の共通通貨となっている面もあり、血反吐を吐いてでも欲しいという人が居る事も大きな点だと思う。

そもそも無料ダウンロードが多いソシャゲと違って「購入者が等しく金銭をもって交換」したはずのソフトで、ログボで優劣が付いてしまうのはどうなのかという所がある。
そもそも本作で連日遊ぶことのメリットというのは、お金の石にしろ光る穴にしろ店のラインナップや訪問者といった所にしろ既に多くあるはずだ。連続ログインボーナスは途切れると「単純な損失」と換算されるデメリットがある。「あれ?今日たぬポート使ったっけ?」と記憶を検索する時間は果てしなく無駄であり、「昨日アクセスしてなかったんだ……」と途切れたボーナスに呆然とする瞬間はこの平和なゲームにおいて多大な損失である。

そもそも何故だか制作サイドは「連続ログイン」という評価基準が好きだが、場合によっては「累計ログイン」でも良いはずである。今作におけるログボが累計に向いているかどうかは疑問だが、「連続ログイン」という既存の仕来りに固執しているように見えるゲームも世の中には少なくない。
カブが日曜区切りの一週間で区切られるように、たぬポートのログボも期間を定めての累計とする事も可能だったのでは無いかと思う。累計も全てにおいて優しい訳では無いが、連続よりよほどマシである。

私は4キャラでもってあつ森を遊んでいるが、再開するにあたってログボの事はドブに捨てるものと考えを改め直した。そもそもマイルを求めていないタイプの人間であるので、50だろうが300だろうが無くたって困らないものに心を痛めるのは無駄である。しかしそう切り捨てられない人の立場を考えた時、初期に心を痛めていた自分の姿を見返す時、このシステムが本作に必要であったのかは何度でも考えたい。

進むジェンダーの価値観と既存のゲーム性

本シリーズの第一作目がNINTENDO64で発売されたのは、2001年の4月の事である。私はGC版からスタートしたシリーズファンだが、そちらの発売も同じく2001年なので、64版とそこまで本質は変わってない状態からプレイしていると考えている。1作品から19年が経ち、様々な価値観が急速にアップデートされていく中、既存の世界をそのまま打ち出す事の難しさもまたプレイして感じている。

本作で初めてプレイをした知人と話をしている最中、「性別で着れる服が分かれている訳じゃないんですね!(意訳)」という作品への肯定的な評価を聞いた。言われてみれば確かにそうで、その点はGCの時代から特に変わっていない。但しGCの時代はそもそも服が上半分しか用意されておらず、髪型が男女で分けられ、「女子はスカート」「男子はズボン」と性別で決められている項目も多々あったし、顔の見た目も男女別枠として用意されていた。
そういった意味では作品ごとにどんどん自由になっているし、時代に対応した新しい方針というのも取り入れようとしているのは目に見える。しかし、まだまだ不必要な違和感はあり、特に本来のどうぶつの森シリーズの根底を覆さないと改善できない問題も存在している。

2001年というのは当時を生きてきた人は思い返してみればすぐ分かると思うが、「恋愛は異性でするものだよね」という認識がまだ強く、当たり前なものとして(少なくともシスヘテは)違和感なく生きていた時代だと思う。その時代に生まれたこのゲームは、「異性愛を前提とした会話」が全てのベースとなっており、8つあるNPC住民の基本性格には性別が固定で割り振られている。
本作では変わっている様(たぶん)だが、過去にはプレイヤーの性別によって敬称が変わるというシステムであった事も事実であり、性別による会話の違いというのもまだ残っていると思う。(※検証した訳では無くテキトウに発言しているのでテキトウに捉えてもらいたい)

※シスヘテ=「シスジェンダー」の「ヘテロセクシャル」の略。「男性のみに恋愛感情を持つ性自認が女性である身体が女性の人間」、もしくは「女性のみに恋愛感情を持つ性自認が男性である身体が男性の人間」の事。(テキトウなので詳しい事はググるかヤフるべし)

プレイヤーに対しては、今各方面のアンケートでも増えてきている様に「その他」という項目を作って対応していくのが手っ取り早いのでは無いかと思う。「その他用の会話を用意する」というハラスメントを行うのではなく、「男の子向け」「女の子向け」の会話を表示しない、という方向性である。そもそも性別の選択肢をゲームとして用意しないというのもまた1つの選択肢となると思う。
住民に関しても口調を性別で括るのは(色々な側面から)今後更に問題となっていく事が予想される為どうなっていくのか気になるが、「従来のゲームを知っているファン」が居る限り、NPC住民に関する大々的な変化を打ち出すのは限りなく難しいと思う。

そもそもとして、各NPC住民の生まれ持った(日本で言う所の戸籍の)性別が何であるのか、という事は基本的には分からない。一部の会話で言及されている可能性はあるが、4つの性(※生物学的性/性自認/性的指向/性別表現)が何であるかというのはNPC本人以外には証明できない。制作サイドが表明する事は可能だろうが、大炎上必至であるのでする事は無いだろう。

※4つの性=ググろう。最近は複数の質問を元に自動で分析し、自己発見に役立てるサービスなんかもある。

個々のキャラクターの性別に関する取扱いの変化に試行錯誤し取り組んでいる事は評価したい一方で、一番変化が難しい最大の問題点が1つあるので次の項目で言語化したいと思う。

令和のゲームで残る「昭和のオヤジ」

プレイしている人はお分かりかと思うが、オレ系(コワイ系)の事である。「漢気」「頑固」「不器用だが根は優しい」というのを体現したキャラであり、シリーズ通しても他と優劣がつかない位に人気の高い口調タイプであるが、時代の流れによって「昭和感が人一倍強い(キツい)」という、初期には意図していなかったキャラクターに変化してしまった。彼自体は全く変わっていないが、世間の目や風潮が変わってしまったので従来と同じ言動がキツく見えるのである。

ちなみに今回の件とは全く関係無いが、4キャラをぐるぐると回して日課をこなすプレイをしていた為に挨拶が出来なかった際、「オレ避けられてんのか!?傷つくぜぇ(意訳)」と言われた際には心が折れた。

様々な悪しき価値観というものを変えていこうといった流れがある時、「再生産しない」という協力も同じ社会で生きる人間として重要となる。ゲームといった1コンテンツであっても、同じ価値観がほぼ全てのゲームに搭載されていれば「当たり前」としての認識は変わっていかないのである。しかしオレ系は「こういった口調である事」がこのゲームの「当たり前」なので、変えるのは容易ではない。
仮に大々的な変更を打ち出した場合、従来のファンから罵詈雑言や失望の声が数多上がる事は想像に難くないし、個性を削ぎ落してしまう形になるのは作っている側からしても心が痛いだろう。作品毎に徐々にマイルドにしていく事は出来ると思うが、落としどころが難しいのである。

コワイ系以外の別の口調でも色々と価値観の(最先端の)変化に対応しきれていない部分は多々感じるが、断トツで置いていかれてしまっているのがコワイ系である。こういった事を言うと「そう言うのは本当のファンじゃないやつだから~」「好きなら受け入れて愛すべき~」などと言う人間が出てくるのは目に見えているが、「最先端でない価値観の人間の物差し」でのジャッジというのは、「最先端の価値観での判断を考える際」には言うまでも無く戯言である。
私は「最先端の価値観とコワイ系の共存はどうしたら可能なのか?」という事について、個人的な解が見つからない事に一抹の不安を覚えているという事を言語化しているにすぎない。要はただの作文なので、これを見てご不快を表明される方はブラウザを閉じて安らぐリラックスタイムで気持ちを浄化して欲しい。

勿論だからといってどうぶつの森がオワコンだとか、売れるべきではないなどと言う訳では無い。今後も新しく素晴らしいゲームとして世に残って欲しいし、もっと皆に幅広く楽しんでもらいたいゲームである。
しかし私も大人になってしまったので、そういった小難しい事という事をゲーム中に考えずにはいられないのである。

TwitterではしばしばPW付で島開放ツイートをしているので、興味のある方はたまに覗いたりしてみてもいいかもしれない。(フォローする場合は、私のRTを非表示にするとTLが汚染されなくて綺麗である)

ちなみにPW付で島を開放すると検索に引っかかった場合人が殺到して死ぬのでしばらくは鍵付きにして数十分経ったら鍵を外すのだが、そうするとそうするで人が来なさ過ぎて悲しいというジレンマがある。素敵な商品が店にあると「私は買わないから勿体ない」と思って島開放しないと心がしんでしまうめんどくさい人間なので、ちょこちょこ開けている。良い距離感を持ってあつ森をプレイしたい。