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棚卸しできない感情

2時間近く泣いている。

棚卸ししなければいけない感情があるからだ。しかし私には、それが何なのか皆目見当もつかない。
原因が分からなければ解決しようも無い。だけど本当に分からないのだ。

ずっと責任を取りたくないと思って生きてきた。正確には、責任を取らなければならない位置につきたくないと思って生きてきた。そう思いながら、不定期に、責任をとるポジションに自らを置いてきた。

合理的では無いですよと、指し示されたものがある。分かっていた。それが合理的じゃ無いことなんて初めから。あの時から。分かっていた。ずっとずっとそうだった。それを合理化しない私の、この感情は何だ。分からないから棚卸し出来ないでいる。

「私は合理化出来ないので、合理的な人の元へ行ってください」と言うのは簡単だ。けれどももう、そんな選択肢なんてとっくに残っていない。選べるほどのものがない。もう人は居ない。そんな状況になってから、突き放す様にそう言うのは卑怯だろう。

最も合理的な選択がある。全てやめればいいだけだ。責任を取るポジションに立つから生じる問題は、そのポジションを捨てれば無くなるのだ。考えることをやめれば、涙なども流れずに済む。

でもきっと、そんなことを望んだ指摘では無いだろう。私が何かを決断すれば、誰かが責任を感じてしまう。責任を取るのは私だけで良い。

合理的な選択を選ばなかった事で出た損害を、私は駆けずり回って賠償しようとするだろう。責任は取らないと明示しながら、責任を取ろうと「私なら」するだろう。全く合理的では無く、ばかばかしい話なのだ。けれども謎の感情がある限り、そうせざるを得ない。

謎の感情と向き合うのは、ひどく苦しい。ずっと涙が止まらない。どこから出てくるのか、何で出ているのか分からない。ずっと寝られない。でもこれは謎の感情のせいであり、だれも悪くはない。

とてもお腹が減った。何かを食べて、温かい飲み物を飲めば寝られるかもしれない。寝て起きたら、この感情はいなくなっているのだろうか。私はそれを望むのだろうか。

全部全部わからない。わからないけど生きていく。