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イヤリングに夢を"見ていたい"私の話

あまり性別に関わる話をネット上ではしたくないので普段は避けているが、どうしても言語化して整理しておきたい事が出来たので今回は記事という形にしたい。誰かに見て貰う前提で書いていないので、メチャ暇で気が向いた人だけ見たり見なかったりして貰えると良いと思う。

私は日常的にアクセサリーを付けるタイプではない。そもそもが家に引きこもりがちだし、何ならメイクもろくにしない。なのでピアスの穴は開けておらず、ピアスを付ける事は(装着部を加工しないという前提であれば)できない人間だ。しかしオシャレをする事は好きで、月に数回あるかないかというお出かけの時にはドヤ顔でコーディネートをする。いや流石にドヤ顔は誇張したが、最終的に自信のある服装を決めておでかけに向かう。(尚、毎度己のファッションチェックに合格できずに難航して遅刻しそうになったり実際に遅刻したりする事は今回は触れないものとする)

特に気合の入ったオシャレをする場合、アクセサリーは必需品だ。私の家にはネックレスは沢山あるし、イヤリングも好きな物を見つけては買っている。ただ痛覚が人より鋭いのか耳たぶが厚いのか分からないが、普通の人が難なく付けらけるタイプのイヤリングでも許容できず、選ぶのは樹脂製のものからとなる。(※身内の結婚式に出席する為に一式をレンタルする時にイヤリングを試した際、DMG("どれも・マジで・ムリ")だった為、担当のお姉さんに別の提案をさせてしまった経験すらある。)売り場には大抵ピアスも並んでいるので歯がゆい思いをする事もあるが、加工したり自分で作るほどの情熱は無い。ネックレスはコーディネート上問題なければ必ず着けるが、イヤリングは装着も手間取る為にここぞという時にしか付けることは無く、買ってうっとりするのが趣味と言ってもいいくらいである。

数か月前、そんな私が珍しくイヤリングを付けた。ここぞという時だったからというのもあるが、心に武装をしたかったからというのもあるだろう。「イヤリングを付けたい相手だった」「自分に自信が欲しかった」「TPO的にイヤリングがNGではなかった」の3つが揃ったという事だと思う。月に数回お出かけをするかしないかという人間の、年に一度あるかないかのイヤリングの出番である。イヤリング的に言えば「待ってました!!!」という瞬間だろう。数はあるが使う回数はほぼないので、初めて使うイヤリングのお披露目である。頑張れイヤリング。負けるなイヤリング。(重力に)

「オシャレをするのは自分の為だ」というのは、最近になって(SNSが流行して)改めて浸透しつつある認識のように私は感じている。私もそう思うし、仮に「モテたい」「褒められたい」と思っていても「それも自分の為」だろうし、それはあくまでも理由の中の一派であって、"オシャレをしていても"モテや褒められを求めていない人も居る。

私も特にモテや褒められを欲しているタイプではなく、武装やなりきり、モードの切り替えの一種として作用しているのだと思う。オシャレを「したいと思わない時」は「オシャレしたくない」し、「しようと思うとイライラする」が、「オシャレしたい時」には「オシャレが出来ないと悲しくなるし落ち込む」という性質がある。面倒ではあるが、傾向と対策が明確に分かっているので扱いは難しくない。ある種、「制服や仕事着」と同じ所があるのかもしれないとも思う。オシャレは変身の一種だ。

さて、そんな「特に褒められたいとは思っていないタイプ」で、「とびきりおめかしした状態」の私が人と会った訳だが、その日は色々長い時間喋り、喉が痛いなと思う位まで喋りまくった。その中の後半で、話の流れで投げかけられた質問が次の言葉である。

「そんなに大変なのにイヤリングを付けるのは何故ですか」

勝手に引用して申し訳ないが、意味だけでは別の捉え方をされそうだった為口語で記載した。概ねそのような言葉だった。嫌味も偏見もない、純粋な疑問だ。理解や寄り添いも無いが、本当に単純な疑問だ。

しかし私は、それに答えられなかった。

流石に無言を貫き通した訳では無いので何か返答したのだと思うが、何と返したのかはよく覚えていない。「何故、イヤリングを付けるのか」。何故だろうか。私は考えた事が無かった。「付けたいと思うから」とすら、答えられなかった。いや、そう言ったかもしれないが、覚えていない。嫌だなとも思わず、モヤモヤした感じもなかったが、するりと呑み込めなかった。思考の行き止まりが見えた。

その日の帰り、電車内で外しバッグに入れたイヤリングの樹脂部分がパッキリと折れた。付け替える為の部品があると知り買ったが、まだ替えていない。次に会う時のイヤリングとコーディネートは決めていたので付けていったが、その次にはイヤリングは付け忘れ、そしてその事を残念とは思わなかった。イヤリングは「その人に会う必須アイテム」という枠から"降格"された。

イヤリングは付けたいから付けている。褒められたくて付けている訳では無い。相手の為に付けている訳でもない。だがしかし、「"可愛いなとは思われたかった"」のかもしれない。付けている姿でなくても、「そうしてしまう姿が可愛い」でも良いから、とにかくそう思われたかったのではないだろうか。「そしてそれは、言葉を伴わなくても良かった」。だがしかし、相手が「疑問を呈する」行為をした事で、「可愛いと思っていない」のが露呈されてしまったと、私は判断したのではなかろうか。「可愛いと思って貰えるかも」と夢を見ていた少女は、夢を見られなくなってしまったのだ。

あれからまだ数か月しか経っていないが、「買っても意味ないかな」と思ってショップのイヤリングを見る気にはなれない。これから手持ちのイヤリングを付ける機会が今後来るかは分からないが、「もう付けなくていいや」と晴れ渡った気持ちで思う事も出来ない。今はまだ、心に折り合いが付けれていない。

誰が悪い訳でもなく、傷ついたと言うほどでもない。ただこうしている間にも涙は流れているので、心は悲しいのかもしれない。自分でもよく分かっていないが、言語化したのでこの後何かしらの変化はあるだろうと思う。

夢見る少女は夢を見ない少女になったのではなく、夢見る少女で居られなくなったのではなく、存在自体が何処かに行ってしまった。帰ってくるかはまだ分からない。あの子にとってここが居場所の良い場所にまたなれたら、帰って来て欲しいと思う。