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大丈夫じゃない。だから大丈夫ということもある 2024.4月

センターが異動になって3週間経つ。
なじめたか?と聞かれると、まだまだだ。
元気か?と聞かれると、そこそこな。

以前のセンターとの違いを感じてしまうところもある。そこにストレスを感じる自分がいて、ストレスを感じるということは、今のセンターに意識が向ききってないのかなぁとも思えてしまう。恥ずかしいとも思ってしまう。

利用者との会話がまだまだ深いところには入れないと感じる。もっと入っていきたいけど、現実はそれが難しい。
焦ることはない、と言い聞かせるけど自分の気持ちがウズウズ。
相手が関係する話だから時間が解決する部分も大いにありそうだからな、って思うことにしている。
まぁな、いろいろ難しいなっていうのが正直なところ。


それに・・・
前センターのスタッフチャットにちゃっかりまだ残っていた(ダメだよ?)しかし、それもなぜか気づかぬうちに入れなくなっていた。
残っているチャットルームもあるけどそれもあと1つか2つ。もういつ、入れなくなるかもわからない。あと2年は残っていようと思っていたがあまりにも早い。
あまりにも早いんだよ。時間は徐々に過ぎていくってそれだけは冗談にしてくれよ。

それと同時に、「いつでも戻ってきな」「お前はお前のまま、頑張ってきな」って送り出してくれた仲間たちの存在を思い出す。
でも。いつでも戻ってきていいよ、って言う気持ちってどんなものなんだろう。
いつでも戻ってきていいよ、って言われた、自分の気持ちはどんなものなんだろう。

自分でもわからない。あったかいような気もするし、「(人事権がないんだから)そんなこと言えないだろ」っていう気もするし、「そんなこと言えないだろ、って思う自分はなんなんだろう」っていう気持ちもある。受け止めが難しい。

でも・・・
そうか。おれには戻りたい場所があるんだ。
何かを変えなくても、今のまま頑張っていいんだって認めてもらえているとも言えるんか。
その感覚が、「自分を信じる」という感覚ともつながってくる。大丈夫か?

大丈夫だ。まだやれる。
俺は俺のまま生きていくんだ。大丈夫。まだまだ過去をひきずっていても。

前のセンターも。
そういえば、前の前のセンターも。
そうそう、前の前の前のセンターも。
ぜんぶ、ひきずっている。ぜんぶ、つながってる。
なんならずっと、過去を見てる。
そのまま、いく。そのまま、どこまでもいける。

遠くまでいくつもりもある。
さびしいままでいい。

かなしいままでいい。

弱いままでいい。

暗いままでいい。

過去を引きずったままでいい。

きれいじゃなくて、いい。きれいじゃないから、いい。

苦しかったことも、楽しかったことも、ぜんぶここにある。

その気持ちは忘れたとしても、思い出せないとしても、忘れてないよ。忘れられないよ。そうやって生きてきた。

ここにある。
いつだっておれには戻る場所がある。そう思えばどこまでも、自分のままで生きていけると思える。

過去を生きていく。そして今を生きていく。
これまでも、これからも。


そんなこんな。

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