【読書】こころを洗う技術(目覚めた人になりたい)
布団と毛布がまだまだ恋しいので、目が覚めてから布団の中でダラダラする時間を有効利用しようと思いつき、電子書籍を布団で読むようになりました。昨日の朝読み終えた1冊がこちら。
『こころを洗う技術』 草薙龍瞬・著
日々の生活の中で、知らず知らずに煤汚れていってしまう心。
正しい理解に基づいて、心を洗うことができれば、クリーンな心を手に入れられる。
そのための方法を、ブッダの考えを用いて説く本。
心がクリーンでないとは、苛立ちや、焦りや、不安、後悔、劣等感等々の雑念にまみれた状態のこと。
日常的に、よくありますね。
そういった雑念というのは、何らかの刺激を受けて、心が反応することで起こるため、反応しない練習をしましょう、というのが著者の前作『反応しない練習』のメインテーマ。
『こころを洗う技術』でも、同様のことが書かれています。
反応しないようにする。
言うは易し、行うは難し。
反応を止めるってどうすれば?
って疑問が湧きますよね。
特効薬は「ラベリング」をすること。
「ラベリング」=「言葉を使って客観的に、今、自分がしていることや、今やろうとしていることを確認すること」だそうです。
歩いているときに「私は今、歩いています」
今の私なら「私は今、パソコンのキーボードに触れています」
といった風に。
理想は「やる前に確認、やっている最中に確認、やった後に確認」。
この自覚をすることで、自分の客観的状況を理解することができる。そうすることで、行動に意識を集中することができ、心を止めることができるそうです。
確かに、いちいち動作を脳内実況中継していたら、そこに集中力を使って他の余計なことを考えている余地を埋めてくれそうです。
この話、どこかでも聞いたなーと思ったのですが、最近流行りの「マインドフルネス」とか「瞑想」も要はこれなんですね。
呼吸に意識を集中したり、ボディスキャンしたり、歩行瞑想したり。
仏教では「サティ」と呼ぶらしいです。
「サティ」の詳しいやり方も本に書かれているので、興味のある方はお読みください。
瞑想も1年くらい前から試していたのですが、いまいちなぜ効果的なのかを理解できていなかったのですが、納得。
心を止めるための作業だったんですね。
言い方ややり方に差はあれど、何かを極めた人たちは、いつの時代もその境地に辿り着くということなんでしょうか。
そして、ラベリングを外にではなく内側、自分の”心”に使ってみる。
心の動きを客観的に見ることで、冷静になれるし、「ここから何をすればいいか」を考える心の余裕が生まれると書かれています。
心の状態は、次の3つの言葉で確認します。
①貪欲 ②怒り ③妄想
あらゆる悩みはこの3つに帰結するので、今自分が感じているのがどれなのかを自覚せよ、との教え。
貪欲と怒りはイメージつきやすいですよね。
面白いなー、と思うのは③の「妄想」。
ヲタクとしては、妄想は大好物、むしろ主食なんですがw
趣味でやってる楽しい妄想は、私の人生の「遊び」部分なので、今回は置いといて。
本でも「悩みの99%は、妄想が作っている」と書かれている通り、私たちの悩み事は、ほとんどが事実ではない妄想、思い込みや間違った判断からもたらされるものであるというのは、腑に落ちる話でした。
「人からこう思われるんじゃないか」
「〇〇するべきだ」
「あの時こうしておけば」
そういう思いは全部妄想。
確かに。
自分の脳内で描いているだけで、目の前に実在する何かがあるわけではありません。
以前にカウンセリングの勉強をしているときに、
「”行動”、”感情”、”価値観”に分けてカルテリングをして、どこにギャップがあるかを分析してください。そのギャップが問題の本質であることが多いからです」
と学びました。
これも、考え方としてはきっと一緒。
”行動”だけが事実で、”感情”は反応であり、”価値観”は妄想なのだな、と。
そして、その反応を生むのは、妄想だということ。
その妄想や価値観が良いとか悪いとかじゃなく、「あ、妄想だったんだ」と気づくことで、じゃあ、現実として「どう行動していくか」に焦点があてられるという考え方なんですね。
心が乱れていると感じるときは、まず、行動のラベリングをして、心を止めましょう。
それから、内側のラベリングをして、妄想を晴らしましょう。
もう一つ面白かったのが、「慢」の考え方。
仏教では「自分が正しい」「自分には価値がある」という思いを”慢”と呼ぶそうです。自分に都合の良い妄想のこと。
最近、一般的にもよく聞く「承認欲求」なんて、まさに「慢」の塊ですね。
怒りをもって何かを否定すると、「自分が正しい」と思えてくるそうです。
SNSやコメント欄で声高に誰かを責めている人は、怒っている人多いですものね。
誰かに怒りをぶつけたり、ディスったりすることで、「自分が正しい」「価値がある」という思いを募らせてしまうのかもしれません。
一回、心を洗いましょう!
仏教というと、欲を持ってはいけないという考えなんだと思っていたのですが、欲求そのものは否定されていませんでした。
欲求がある→過去を妄想して、今に不満を募らせる=不毛な思考
欲求がある→どうすれば叶うのか、方法を考える=正しい思考
妄想に惑わされず、具体的な方法を考えて、行動しなさい。
この教えも、どこかで聞いたことがありますね。
瞑想もそうだけど、大事なことの真髄は、どのジャンルから攻めても似たようなゴールにたどり着くんだなぁ、と改めて認識。
さて、自分の問題に関しては、正しい思考に立って考えれば乗り越えていけます。でも、人間関係については? ということにも答えてくれています。
人との関係については、「判断をしないこと」。
この本でいうところの判断とは「自分はこう考える」「こうあるべき」といったものの見方や考え方のこと。
相手についての決めつけや思い込みを意味するそうです。
「あの人はいい人・悪い人」「あの人はこんな性格」といった印象や「あなたはこうするべき」「女性(男性、親、子、恋人、上司)ならこうあるべきだ」というのも判断。
私たちは日々、無意識のうちにいろんな判断をしています。
その判断を止めて、まず相手を「理解すること」。
自分がどう思うかではなく、相手にとってどうかで向き合う。
人は判断はされたくない、理解されたいのだ、と。
この「判断する」という言葉、個人的には、「解釈する」あるいは「意味づけする」の方が、わかりやすいなと感じました。
相手を理解することに務め、相手にとって最善の道は何かを、敬意をもって考える。そうすれば、相手との関わり方も変わってくるはず。
誰かに対して不満の気持ちがよぎったときは、「あ、判断したな」と気づくことが大切なんですね。
自分も幸せ。
相手も幸せ。
心を止めて。
妄想を晴らし。
判断をせず。
正しい理解と、正しい思考を持って生きる。
そうできたなら、生の苦しみから解き放たれることになるのかもしれません。
たやすくはないけれど。
だからこそ、ブッダ含め、修行するんでしょうね。
心がクリーンじゃないな、反応したな、と感じたときは、まずは「心を止めてみる」「妄想したな」と気づいてみる、そこから始めてみようと思います。
技術ですから。
繰り返し練習するうちに、きっと上手になるはずです。
ブッダのように、目覚めた人にはまだまだ遠いですが。
とりあえず、本を読んでたら毛布から抜け出せる程度には目が覚めましたw
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