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「鉄路の行間」No.1/阿川弘之『特急「かもめ」』と"瀬野八"

 列車での旅をこよなく愛した作家と言えば内田百閒、阿川弘之、宮脇俊三が「御三家」であり、いずれも名文を後世に残している。中でもマニア度がいちばん高かったのが阿川弘之。鉄道システムそのものにも精通しており、その片鱗は内外の鉄道を描いたエッセイの数々からもうかがえる。

 『お早く御乗車願います』は、そうした阿川の思いがあふれた作品を集めた初めての本だ。冒頭に収められた『特急「かもめ」』には、1953(昭和28)年に運行を開始した、戦後初の山陽本線特急の一番列車に乗車した時の模様が綴られている。”瀬野八”区間の補助機関車(補機)に対する蘊蓄を語る部分は、さすが。山陽本線の瀬野〜八本松間は上り列車に対して急勾配となっており、今も貨物列車には後押しの機関車が連結される。

瀬野機関区跡

 しかし、かつての特急では、機関区がある麓の瀬野ではなく、広島からすでにD52形蒸気機関車が連結されていたこと。あるいは坂道を登り切った八本松を通過中に補機を切り離していたことなどが描かれる。

 D52の前頭部に乗っていた鉄棒を持った機関士が、手動で連結器を操作していたと阿川は記す。後世、自動化されたイメージが強いのだが、この作家の筆は、昭和20年代、まだまだ人力に頼っていたことを著している。危険な作業に挑む緊張感、あるいは無事に成功した後の解放感などが読む者へ活き活きと伝わってくる、この紀行のクライマックスだ。




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特急「かもめ」を牽引し、瀬野八の補機にも使われていたC59形蒸気機関車 赤丸で囲った部分が、連結器を自動的に解放する装置(京都鉄道博物館にて)
スハフ43
「かもめ」の最後尾に連結されていたスハフ43形客車。阿川は、車掌室の窓から、補機の切り離し作業を見ていた(大井川鐵道新金谷駅にて)


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