休んでいた時は本当に心が死んでいたし、味覚もなかったし、顔の筋肉を動かすこともなかった。人と話すこともなかった。

外に出て歩いたり、ちょっと気分転換にお買い物をしたにしても、この生活が終わるのかどうかなんて解らず、私の夢が潰えるのではないかというこわさで泣いてばっかだった。

死んだら楽になるかなと思いかけた。でも親が泣く姿が嫌でも浮かんでそれでまた自分を責めて泣いていた。

仏壇の前に座れば、いつも死んだばあちゃんが私の頭の痛みを上の方向に引っ張ってくれた。

送迎会の時にも話したけど、見えない世界で皆必死に働いてる中私は何も出来ずにいるという罪悪感でいっぱいだったし、私はダメ人間なんだ、心が弱いからいけないんだ、めまいして障子破ろうが交通事故で車に跳ねられようが仕事に行ってた昔の元気はどうしたんだと、責めまくった。

今何時で、何月で、温度がどれくらいで…というのを感じず生きていた。

だから、今の状況が信じらんない。彩り。幸せで、急に泣けてくることもある。

色んな感情を与えてくれる人もいる。私は一人じゃないんだなと当たり前ながら感じる毎日。

復帰パターンは医者も例がなく、書式がよー解らんと言っていた。


やばい、書きながら泣けてくる。


人の言葉に傷ついて泣くと言うのも、休んでた期間はありえなかったことだ。幸せなことだ。

私は人を傷つけない人でありたい。もし知らぬ間に傷つけているようなことがあったら申し訳ない。

誰かが落ち込んだり、しんどいな…と言ってたら、そこにいるだけでも寄り添える人間でありたいと強く想う。

かってえ文だな。酔ってるんか。


あーそうさ。ほろよいラムネサワーを飲んだだけさ!