じいちゃん

私にとっては、おじいちゃんと言ったら母方しか知らない。昔は父方、母方があるなんて知らなかったけど、父上の両親は父上が小4くらいの時に離婚してるから、ばあちゃんはよく知っててもじいちゃんには写真でしか会ったことがない。生きてるのか死んでるのかすら知らない。下の名前を一回聞いた気がするけどもう記憶にない。

だから私の中では、おじいちゃんと言ったら母方の方の、じいちゃんになる。田舎だっけね、じいちゃんって呼ぶよね。おじいちゃんって呼んだことないわ。
じいちゃんは私が中学に入学した時は、自転車を買ってくれた。大学に入学した時は炊飯器を買ってくれた。
大学卒業と同時に母方のばあちゃんが死んじゃって、その直後から認知症が始まった。ギランバレーで入院し始めてからだね。

ギランバレー症候群になったの、うちのじいちゃん。で、入院してからほぼ寝たきりになっちゃって、会話も出来なくなった。でも、私が見舞いに行った時は目を開けて、反応してくれたんだよ。それが嬉しかったけど切なかった。良くなることはないんだなと思って。みるみる弱っていったから。

そして、中越沖地震の11日後に亡くなった。
その日は終業式で、講師として働いてたんだけど、終業式が終わったお昼過ぎに携帯に連絡が入ってて。

「じいちゃん亡くなったよ☠」

ドクロマークはやめてー!ってなったの覚えてるわ。ほんですぐ年休とって帰ってった。電車で2時間近くかけて。
懐かしいね。お葬式は泣きまくったなあ…

じいちゃんの時に初めて骨拾いをしたんだよな。骨拾いって、心抉られるよね…肉体が亡くなるってさ、怖さすら覚えるよね。

だから亡くなった人を忘れてはいけないなって思う。どうしても最後に見るのが骨だと記憶に残るのはそこになりがちだけど、その骨を見る時間ってのはほんの数分で。実際は生きていた時に一緒にいた時間の方が長いんだから。そこを思い出してさ。やってくしかないんだよね。