2時間だけど

昨日は不登校の子が、2時間学校に来れた。とても強く、具合が悪いと言うのに「体調は悪いです」「でも今は話何でも聞いて大丈夫です」と、ハッキリと意思を伝えてくれる。でも、その大丈夫はなんかさとられまいと言ってる大丈夫に聞こえて、本当に大丈夫かと聞き返してしまった。
正直、自分の返答として毎回思うのは、何が最善か解らないということだ。自分の一言でまた、色々考えさせたり、不安にさせたり、傷つけてしまうかもしれない。だから言葉は考える。教員というより一個人として喋ってるところもある。

校門の辺りで待っていたら、視線はまっすぐに歩いてきたものの、やっぱり人がいっぱいいると不安になると。でも、私の姿を見て安心しましたと言っていた。ああ、安心材料がたった1つでも作れて良かったと思った。
ということは、その安心材料が増えていけば不安材料も減っていくのかもしれない。1個1個地道に減らしてこ、って話をした。

いきなり勉強しなくてもいいし、色々私が話を聞いて疲れるかもしんないから、ぐだーっとなってもいいし、何もしなくていいと。いることでもう何かしてるからと。無理はしない、って話をした。

つい、来たのが嬉しいから色々言いたくなっちゃうんだけど、それをぐっとこらえる。
別室と言っても、廊下は他の子達が沢山歩いてるわけで、「今体育で移動してたよ。ちょっと動きが読めないや」とか伝えて。もし帰るとしたら、この時間帯が一番いいかも、と伝えて。

最善と思ってやってる。

私の最善とその子の最善は違うかもしれない。そもそも本人に最前は何か解らないかもしれない。きっと解らない可能性の方が高い。
同じ経験をしていないから、解るよとは簡単には言えないけど、解りたいとは思うよって話をした。

こうして、ただ当たり前のことをしてるだけなのに、主任が「いやあ先生、ここまでもってきましたねえ。他の人だったらとっくに手放してましたよ」とか言って来て、イラっとします。

どうしてそういう言い方すんのかな。別に手柄でも何でもないだろ。担任だったら誰だってやるわ。って言いそうになるのをこらえる。ここは冷静に。

でも、言ったよね。「当たり前のことしてるだけだから持ち上げないでください」って。
持ち上げてるつもりはないらしいけど、あの軽い感じの話し方は私は好きではない。あとナチュラルにセクハラなところとか。ナチュラルに距離が近いとことか。私は不快です。