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月日は百代の過客にして

……あら、お恥ずかしい。
わたくし、そんなにニヤニヤとしてしまっていましたか?

いえ、大したことではない――
……いえいえ、やはり大したことでございますね。

数多おりましたわたくしの妹たちの中でも、残り少なくなってしまいました現役機。

旧帝鉄8620形蒸気機関車 58654が、本日100歳のお誕生日を迎えたと――
ね、ご覧ください。このネットニウスで流れてきたのでございます。

……残念ながら、58654のレイルロオドとわたくしは、一度も直接あっていません。
あのこは、ずっと――使用開始以来ずうっと、九洲の地を走り続けて――
ああ! そうです。一度はお召し列車を牽引したこともあって……
わたくしの数多い妹たちの中でも、抜きん出て優秀なこの一人ではあるのですけれど。

わたくしと8620が九洲に――隈元県は御一夜市に引き取られ。長い眠りについてのち、再び目覚めさせていただいてから――
ただの一度も、会う機会も、話す機会も、未だに持てていないのです。

わたくしもここでそれなりに、長い時間を……
うふふっ、いつの間に、本当に長い時間を、わたくし御一夜で、旦那様のもとで過ごさせていただいておりますね。

出会い、すれ違い、ぶつかって――
ふたりでともに、あの橋を越えて……
いつしか夢の形さえ、まったく同じに重なり合って。

……ふふっ、わたくし、思い出しました。
わたくしの百歳のお誕生日。
あの賑やかで幸せな会での、旦那様とニイロクとの一幕を。

『百歳か――“月日は百代の過客にして”などともいうが、ハチロクの百年で、思い出に残る過客はあるか?』と――

旦那様、なんて詩的な言の葉を紡いでくださるのかしらん、とわたくしがうっとりしておりましたら、ニイロクが極めて冷静に、いつものあの調子で

「百代は、百年とか百歳という意味じゃない。”永遠にも等しい、長い長い年月”という意味」

と、ツッコンで。

すぐ「これはうっかりしてしまったな」と……
旦那様の珍しい失敗が、また宴席のアクセントとなってもりあがって――
まこと楽しうございましたね。

で、ね? 旦那様。
わたくしあのあと、お勉強をしたのです。

旦那様が口にしてくださった、
『月日は百代の過客にして』という言葉について。

『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。』

……月日は永遠の時を旅する旅人のようなものであり、来ては去っていくこの年も、また旅人の一人にすぎない。

とても詩的で、示唆に満ち、少し寂しく、綺麗に響く言葉です。

わたくしいっぺんで気に入ったのですけれど、同時に少し、ほんのすこし――ひっかかりのようなものも覚えたのです。

「どうして同じことを、二回繰り返しているのかしらん」と。

”月日は百代の過客也”
もしくは
“行かふ年は旅人也”

どちらかだけでも、おんなじことは伝わりますよね?

それでわたくし、さらにお勉強いたしまして、
“月日は百代の過客にして”
という言葉そのものが、古典からの引用であることを知ったのです。

引用元は、漢詩。
仲国の詩でございますね。

その原文は、

『夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客』

なんとなくしか理解できないように思いましたので、わたくし、西瓜さんに意味を教えていただきました。

西瓜さんは“逆旅”は“宿屋”のことだと教えてくださって――

『天地――世界は万物の宿屋であり、光と陰も永遠の時間を旅する旅人にすぎない』

という意味だともご説明くださいました。

光と影を、陽と陰、すなわち太陽と月と解釈すれば、
“月日は百代の過客にして”という、あの日ノ本語の詩句になる、とも。

ですけれど、わたくし、その説明を聞きながら――

ああ! うふふ、旦那様もですよね。

わたくしもまったく同じです。
そうとしか解釈できませんでした。

――世界は宿屋。そしてひかりは、永遠を旅し続ける、旅人――

旦那様の、わたくしの夢。
時速200キロで駆け抜け、風より速く、ひかりの如く、帝央と逢阪を結ぶ列車。

超特急電車“ひかり”はきっと、永遠に旅し続ける列車になってくれると――

はるか昔の仲国に、予言をされていたのだと。

;おしまい

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