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伝説の国コカーニュ。

ヨーロッパに伝わる伝説の国コカーニュをご存知でしょうか。

コカーニュの国というタイトルの絵画があります。

作者はピーテル・ブリューゲル。バベルの塔の絵を描いた画家としても有名です。

コカーニュの国

地上の楽園。伝説の国コカーニュ。

ソーセージが生える木

パンやケーキが生い茂る草原

若返りの泉が湧き

火山ではマカロニが茹でられており

葡萄酒の海がある

いつも忙しく働く農夫や、兵士、教職者などは地面に寝そべる。

彼らの衣服も道具も新品のままだ。働かなくても食べるものには困らない。

コカーニュの国を中世の人々は夢に見ていた。

中世の人々は常に飢えと闘いつづけていました。

焦がれたコカーニュへの思い。

その思いを紐解くには中世時代のヨーロッパの食事事情に迫る必要があります。

痩せた大地】

中世ヨーロッパは非常に貧しい暗黒の時代でした。

栄養もない土地。森は深くうっそうと茂り、人々は畑を作るために1から土地を開墾しなければいけませんでした。

現在のヨーロッパに見られる草原などは、昔の方々が必死に開墾した跡と言えます。

「春蒔き→秋蒔き→休耕地(放牧地)」という3年を一つの単位としてローテーションしながら農地を利用していました。

小麦を育てると土中の中の窒素が使われて翌年に必要な窒素が足りなくなるのです。それで小麦を連作することは非常に厳しかったのです。

そのため一度小麦を収穫した土地を休耕にして、その間は農地に家畜を放牧して飼っていました。そうして農地のエネルギーが復活するのを待ったのです。

しかしそれも万全ではなく、中世時代、家畜が厳しい冬を超えられる保証はどこにもなかったのです。

それで、冬が到来する直前には、わずかな家畜を残して残りをすべて肉に加工しなければなりませんでした。

ここから中世ヨーロッパの食事事情を追ってみます。

庶民の食事は麦によって支えられていました。

中世はまだジャガイモすらヨーロッパには存在していませんでした。

人々は自分たちで開墾した土地に麦を植えました。

小麦からは白いパンが出来ました。

ライ麦からは黒いパンが出来ました。

小麦は収穫量が少なく、値段が跳ね上がりました。

小麦から作られる白いパンは貴族や領主といった権力のある者たちが食べる物になっていきました。

痩せた土地や、斜面でも収穫しやすかったライ麦と、収穫が難しかった小麦。

お金持ちは白パンを手にいれることが出来ましたが、貧しい人々は黒パンを食べていました。

領主や貴族たちは小麦から作る白いパンを好みました。

黒パンは当時、貧しさの象徴のようなものでした。

日本で作られたアニメ「アルプスの少女ハイジ」の中で、ハイジのお友達ペーターのお婆さんが欲しがったのが「白パン」です。

庶民には手に入りにくい白いパンでした。

中世ヨーロッパの家庭では、黒パンをカッチカチに焼いて固くしていたものを食べていました。

固い黒パンを、スープなどに浸して食べるようになりました。

なぜそのような食べ方をしたのでしょうか。

それはカッチカチに焼いた方が日持ちがしたことと、食べごたえもあったこと。

そして何より節約のために固く焼いていました。

土地には領主や貴族がいました。それらが粉挽き道具を持っており、庶民はそこまで麦を持っていって粉にするため挽きました。

水車や風車などを使って大きな臼石を回して麦を粉にしました。

その時に水車代や風車代と称して庶民から粉挽き道具を使った使用料を取っていたのです。

その割合は庶民が持ってきた麦の24分の1など、現物である麦の一部を領主に支払いとして納めるものでした。

庶民は畑から収穫してきた麦を、次の種まき用に少しだけ保管して、

あとの麦は、麦のまま貯蔵しました。粉にして保管するより麦のままの方が長く保管できたからです。

そして家族がパンを食べる分だけの麦を持って、領主が持っている粉挽き場まで行って麦を粉にしてきました。

しかし頻繁にそれをやると、粉挽きをするたびに領主に麦の一部を納めなければなりません。

それで出来るだけ粉挽きに行かないようにするため固くパンを焼いたのです。

さらにパンには豆なども多く入れて焼いたりしました。一回あたりの麦の消費を少なくするためです。

粉挽き場は常に人で溢れていました。

パン屋などが粉挽きに来ていると長時間かかります。

待つ時間も長くなりました。粉挽きの順番を待っている間は人びとの交流の時間となっていきました。

人々の噂話や企みなどがここから生まれていったと言われています。

さらに領主は庶民に勝手にパンを焼くことを禁じていました。

庶民は自分たちで食べるパンを焼くために領主のオーブンを借りてパンを焼くしかなかったのです。

そのため人々は、麦をそのままお粥のように調理して食べることも多かったそうです。麦を収穫したらパンとして焼くことをせずに、そのままお粥にして食べることも多かったのです。

麦は中世ヨーロッパの人々の主な栄養源になっていました。

パンは100g=260キロカロリーほどあります。

13世紀まで人々は一日に500g (1320kcal)のパンを食べていました。

現代社会で人が1日に取るカロリーは2000キロカロリー前後が良いとされていますが、中世では1日にパンだけで1320キロカロリーも取っていたことになります。

また、ブルゴーニュの漁師達は毎日3kg(8000kcal)近いパンを受け取っていたそうです。

1日に8000キロカロリーということは、現代社会の男性の4人分をたった一日で取っていたことになり、さらにその栄養のほとんどをパンから取っていたことになります。

中世は現代社会よりもずっと肉体労働に寄った環境でした。逆に言えば、肉体労働が出来なければ生きていけない過酷な時代だったのです。

【ワイン】

中世のヨーロッパは綺麗な水が手に入りにくい状況でした。

人々は水と果物、水と麦などを使って様々な飲み物を作り出して飲んでいました。

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