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マクヒューリバー事件

アラスカにマクヒューリバーという川があります。広大な土地に恵まれて時に野生が荒ぶるアラスカ。
アラスカで思い浮かぶのが水上飛行機ですね。

英語で水上飛行機のことを seaplane(シープレイン)、あるいは float plane(フロートプレイン)と言います。ジブリの紅の豚で描かれていたあの水上飛行機です。

水上飛行機は水上で発着が出来ます。

無数の水上飛行機を停めているアラスカの様子。

アメリカでは個人用セスナ機などの免許を取って自分で操縦する人が多いですが、アラスカは冬も厳しいですし車で長距離を移動するよりは水上から離発着できるタイプの飛行機を皆さん愛用しているのですね。

ちなみに日本人もアメリカでセスナ機などの小型機の免許を取得することは出来ます。アメリカで取得した免許で日本でセスナ機を操縦することも出来るそうです。ちなみに免許取得までにかかる費用はざっと200万円ほど。2ヶ月ほどで取得できるようです。

アラスカでもう1つ思い浮かぶのがヘラジカです。この風貌と優雅に歩く姿に魅了されます。ヘラジカは英語でmoose(ムース)と言います。

巨体です。ヘラジカは2メートル超えもいます。


ワイルドなアラスカ。そこには多くの川もあります。今回はそのうちの1つマクヒューリバーで起きた事件に迫ります。

マクヒューリバーはアラスカ最大の都市アンカレッジに位置しています。チュガッチ州立公園内にある川ですが、この州立公園が49万5000エーカーもある広大なものです。

マクヒューリバー


ここからは、事件の内容に入っていきます。

爽やかな9月の朝。夜明け前のまだ暗い中を18歳のボニー・クレイグは歩き出しました。彼女はアラスカ大学の1年生でした。週に2度、早朝7時のクラスに出席するために45分も歩いてバス乗り場に行き、そこからバスでキャンパスに向かうのです。

彼女は真面目な学生でした。早朝のクラスに遅刻せずに出席することが彼女自身の誇りでもありました。しかしその日、彼女はキャンパスに姿を現すことはなかったのです。

その日の午後遅く、別の大学生が趣味の写真を撮るために家を出ました。そして州立公園内のハイキングコースで写真を撮っていたところ、異変を感じました。

目の前に流れるマクヒューリバーに何かが浮いていたのです。それは若い女性の遺体でした。それはショッキングな光景でした。

警察によると、遺体は約10メートルの高さの崖の下で見つかっており、そこは川の中でも極めて浅い場所ということでした。

その場所は川の流れに沿ってハイキングをする人も多い場所でしたので、警察の当初の見解はハイキング中に足を滑らせて崖から落ちたものだとしたのです。

遺体発見から翌日、遺体は18歳のボニークレイグのものと判明しました。

検死の結果、彼女は溺死と断定されました。さらに頭部にひどい傷を負っていたことも確認されました。頭部の傷は崖から落ちた際に負ったものではないかとみられていました。

この時、ボニークレイグの母親のカレン・キャンベルはフロリダでバケーションを楽しんでいました。娘に起きた悲劇の一報を受けてカレンキャンベルは慌ててアラスカに舞い戻りました。

カレン・キャンベル「警察はボニーはハイキング中の事故で亡くなったと言ったの。にわかには信じられなかったです。今でも思うんです。娘が私のもとへ来て、ママごめんなさい。あれは私じゃないわ。私はまだ生きてるのよって言ってくれるんじゃないかと思っているんです」

ボニーの遺体との面会はカレンを打ちのめしました。それでも震えながらも娘の遺体に近づいて、目を凝らして細かく見ていったのです。カレンは驚きました。

カレン・キャンベル「娘の指の関節は傷ついて骨折していたし、身体全体にアザがあったんです。あれは誰かと争って、自分の身を守るためについた防御傷です。ボニーは事故死じゃない。誰かに殺されたんです。これは殺人事件です!」

このカレンの問題の発言は、実は警察も気づいていました。当初、事故死とされたボニー・クレイグの死は、再検討されて殺人事件として捜査が開始されたのです。

ボニーは車の免許を持っておらず、車を運転することはできませんでした。それなのに、ボニーが最後に目撃された場所から16キロも離れた場所で遺体となって発見されたのです。

早朝7時のクラスにこれまで欠席はおろか遅刻も一度もなかった彼女。クラスがある日の早朝にバス乗り場で目撃されているのです。そこからバスに乗らずになぜマクヒューリバーに行ったのでしょうか。

警察はボニー殺人事件を追っていましたが、なかなか捜査は進みませんでした。業を煮やしたカレンは独自に事件を調べ始めたのです。テレビ局のリポーターのマリア・ダニーは、数少ないカレンの味方の1人になりました。

マリアは警察の幹部が署から出てくると質問を投げました。

マリア・ダニー「ボニー・クレイグ殺人事件の捜査は進展はありましたか?どんな小さなことでもいいです、何かありませんか?警察当局の公式見解をお聞かせ願えますか?」

マリアの突撃取材には警察はすべて「今はノーコメントです」で通しました。

マリア・ダニー「それはとても心が痛い仕事でした。ボニーは近所でも慕われて好かれていました。若い彼女が命を取られてしまったことが悔しくて私は母親のカレンの力になりたいと思ったのです。私達はボニーの遺体発見後、数日経ってカレンに最初にコンタクトを取りました。その時もまだ現場を担当している警察からの情報は少なかったです」

カレン・キャンベルは娘ボニーの殺人事件に関してどんな些細な情報でも欲しいと、自らチラシを作って見かけた町の人たちに手あたり次第に配り始めました。

私の娘が殺されてしまったんです。どんな些細なことでもいいので気づいたことがあったり、何かを聞いたりしたら私に連絡をくれませんか?

母親カレンの姿に同情した町の人たちは次々にチラシを貼ったり、車に「Who killed Bonnie? (誰がボニーを殺した?)」というステッカーを貼ったりしてカレンに協力しました。

娘を突然奪われて泣き暮らしていると思われたカレンは、立ち上がり自分1人で捜査を続けていました。

実はカレンにはもう1つの顔があったのです。

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