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過去との決別――楠木ともり「僕の見る世界、君の見る世界」

こんにちは。かみなりひめです。

まずはこちらをご覧ください。

2020年3月14日。
楠木ともりさんが自身第三弾となる楽曲動画「僕の見る世界、君の見る世界」をアップロード。

前回の「ロマンロン」が中々に名曲で。

今回も期待を満杯にして拝見しました。

桜の開花日だと知ってのリリース?」と思うほどに、春の爽やかさと一抹の切なさを帯びた楽曲。
さすが楠木ともり……!」と関心しました。
(個人的なツッコミは「車窓」を「シャソー」ではなく「シャソウ」と発音することくらいです)

そして、
一発で解釈できないのが楠木ともり楽曲の長所。
私の今回の疑問はコレ。

「僕の見る世界は 伸びきっている」
とは、どういうことか?

のびきっている


伸びきっている」というと、
主語に何を思い浮かべるでしょう?

ゴムひも対戦相手ラーメン
いずれも、弾力性のあるものですよね。
元々持っていたはずの弾力性が失われることを「伸びる」と称することがあります。

気になって、ネット上の辞書(デジタル大辞泉)に手を付けてみました。

の・びる【伸びる/延びる】
[動バ上一][文]の・ぶ[バ上二]
1 ものの長さ・高さ・広がりが増す。
㋐(伸びる)生長して、長くなったり、高くなったりする。「背が―・びる」「すらりと―・びた脚」「枝が―・びる」
㋒(伸びる)ある段階・範囲にまでおよぶ。達する。「司直の手が―・びる」「つい菓子に手が―・びてしまう」
㋓(伸びる)まがったり、ちぢんだりしていたものがまっすぐになったり、ひろがったりする。「腰が―・びる」「しわが―・びる」
㋔(伸びる)全体にうすく、均質にひろがる。「よく―・びる塗料」
㋕(伸びる)時間がたって、長い状態になったり、しまりなくやわらかくなったりして弾力がなくなる。「そばが―・びる」
㋖(伸びる)さんざんなぐられて動けなくなってしまう。ひどく疲れてぐったりする。グロッキーになる。「過労で―・びる」

ここでいう㋕の意味ではないか?
私はそう思うのです。

僕の見る世界は 伸びきっている
戻そうとしたって 畳まれていくだけ

ラスサビ冒頭の歌詞です。
この部分からもそう言えそうです。

「僕の見る世界」は、弾力性や柔軟性を
失ってしまったのではないか?


ゆえに、新たな世界を目指すのです。

可笑しなくらい大きな鞄に
飴玉一個 扉開ける一歩
電車に乗りたい気持ち抑えて
歩いてみたい 景色を見たい

実は、歌詞世界の冒頭からすでに、心機一転の野望が語られていたのでした。
電車に乗りたい気持ち抑えて」ということは、電車に乗ってしまうと「」を開けることはできないということになります。

ここで、主人公の「僕」は、弾力性・柔軟性を失った世界から決別し、新天地を目指そうとしたのでした。

「電車」は以前の「僕」がいた
弾力性・柔軟性を欠いた世界を
象徴していると言えそうです


だから、「電車に乗りたい気持ち」を「抑えて」いかねばならないのです。

それなのに、一番サビでは
電車」=以前の「僕」の世界を見るのです。

僕の見る世界は 伸びきっている
電車の風に吹かれて 落ちる涙も
君の見る世界にはいないでしょう?
車窓から覗く君が 眩しい

ここでいう「君」とは
いったい誰なのでしょう?


動画では、電車内に女性がひとり
これ見よがしに描かれています。

しゃそう


しかし、以下のシーンを踏まえると
必ずしもこの「女性」=「」では
ないよう思えてきます。

おなじにみえるね

ストロボ写真を並べて見るよ
昨日の一枚 今日も撮った一枚
『同じに見えるね』「わかってないな」
変わってみたい 変わってみせたい

フードを被っているか否かの違い以外は
同じ男性であるかのように見えます。

これを紐解くカギは、
『』(二重カギ括弧)と
「」(カギ括弧)の使い分け。

この二人は、紛れもなく「僕」
過去の「僕」現在の「僕」という
違いがあるのではないでしょうか。

過去の「僕」は、『』で話している、
フードを被っている男性。
現在の「僕」は、「」で話している、
フードを被っていない男性。

そのような使い分けであると考えることができます。

これを裏付けるのが、
ラスサビ前のこの歌詞です。

に笑え はるか遠くへ
そうだった
僕にしか出来ない旅をしよう
きみ

ストロボ写真」に写っていたのは星々の軌跡
直前に挙げた歌詞を踏まえているとみるのが自然。

そうだった」という「僕」の想起から、事態は大きく動き始めます。そう、「」は思い出すのです。

「僕にしか出来ない旅」が当初の目的ではないか?
それは、「きみ」と成し遂げるものなのではないか?

表記に注目しましょう。
以前の歌詞にあった「」ではなく、「きみ」と一緒に「僕にしか出来ない旅」をするのです。
そして、以下のシーンに移ります。

きみと1

きみと2

きみと3

先ほど、
フードを被っている男性が、過去の「僕」であり、
フードを被っていない男性が、現在の「僕」であると述べました。

フードを脱ぐことが
過去の「僕」との決別を
意味しているのです


そして、「僕にしか出来ない旅」に「きみ」と一緒に向かうのです。「」ではなく。

つまり、こうは言えないでしょうか。

「君」とは、過去の「僕」であると。


思い返せば、「」は電車の中にいました。

車窓から覗く君が 眩しい

電車は、現在の「」が決別しようとしている、弾力性・柔軟性を失った世界を比喩していることを踏まえましょう。
そこにいる「」が過去の「僕」だとしても、何ら違和感はないでしょう。

上の歌詞は一番サビのものですが、二番サビでは「眩しい」が「見えない」に変わっています。

眩しい」は「見えにくい」の言い換えだと考えると、次第に過去の「僕」から離れていっていることが窺えるでしょう。

最後のサビではこうなります。

僕の見る世界は 伸びきっている
戻そうとしたって 畳まれていくだけ
君の見る世界に 背を向けるよ
車窓から落ちる 君のだけ
拾っておくよ

曲のクライマックスにして、
」は「」=過去の「僕」決別

」に関する情報は、「眩しい」や「見えない」といった視覚的な情報から、「」という聴覚的な情報に変わっていることからも、過去を振り返らないという決別の意志は固いと考えられます。


以上まとめると、この曲は

過去の自己との決別を
テーマにした楽曲


であると言えるでしょう。

正直、テーマは至ってありきたりです。
それを、歌詞という耳からの情報と、アニメーションという目からの情報とを駆使することで歌詞の意味に辿り着くことができるような深みでもって表現する。

それができるのが、楠木ともり。

楠木ともりの才能。
そして春という季節。
その良さをふんだんに
感じられる楽曲です。

(もう一回、聴いてみて。)




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