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相良「 "ひとりで生きられそう" って」高柳「それってねえ、褒めているの?」

こんにちは。かみなりひめです。

ヘッダーは高柳知葉さんのTwitterから。

相良高柳のツーショットが
なかなかなくて苦労しましたわよ……。

さて、今日の話題もこちら。

Prima Porta
LIVE 2020
Open The 1st Door

前回のnoteでは、ぷりぽ1stでの
アイドルソングカヴァー」に注目し、
彼女たちが "アイドル" を身にまとうことを
述べてきました。

このアイドルソングカヴァーのコーナーで
相良茉優さんと高柳知葉さんのデュオが
歌唱した曲がこちらです。

Juice=Juice
「ひとりで生きられそう」って
それってねぇ、褒めているの?

この曲を凛と歌い上げる二人に、
思わず目を見張ってしまいました。

本家・Juice=Juiceさんの振りとは
違うダンスだったようですが、
それでもお二人とも「さすが!」の一言。

コーナー終了後のMCでは、
高柳さんが「現役で活動されてる方の
曲をやるのは緊張する
」という旨のことを
お話ししておられたのもあり、
私も原曲を聴いてみることにしました。

そして、思ったのです。

ジェンダーロールに抗えない人の話か――と。

1. ひとりで生きられそうもない「私」

早速ではありますが、
まずは歌詞を眺めてみましょう。

この歌詞をご覧になって、
(または、上の動画を視聴されて)
どうお感じになりましたか?

もっとストレートに問うてみましょう。

主人公である「私」は
どんな人物に見えますか?

強そうな女性
世の理不尽に怒る女性
みたいな意見が聞こえてきそうです。

これはおよそ、

だけど私自身を 幸せにできるのは
結局は私だけ 勇敢にならなくちゃ
確かなオアシスとか
どこにも残ってない時代さ
たくましく推し進む力を 誇れ

あたりの歌詞が印象に残ったゆえの
見方ではないかと思います。

でも、ホントにこの「私」は
強い存在なのでしょうか?

まず、「」の人物像を
見ていくことにしましょう。

1番のA~Bメロを見ていくと、
」と対局にある存在が浮かびます。

それが、「少しヤワな子」です。
その具体例が「ドラマのヒロイン」。

アナタなしではダメみたい、と
涙したドラマのヒロイン
抱かれた右肩 か弱さ
まぶしすぎて目を逸らしたわ

少しヤワな子ばかり 幸せを手にしてく
お決まりの幕切れよ アンフェアな世の中ね

少しヤワな子」は、抱かれたときの
右肩に見え隠れする「か弱さ」ゆえに、
幸せ」を獲得していきます。

しかも、その展開が「お決まり」であり、
いつも「少しヤワな子」ばかりが幸福に
なることを「」は快く思っていません。

そんな「少しヤワな子」に対して、
」が「まぶしすぎて」と述べている
点に注目しましょう。

まぶしい」というのは、
光輝くものを直視できない、という意味。

相手がキラキラ輝いているという
ニュアンスを含んでいるといえます。

そう考えてみると、こうは言えないでしょうか。

「私」は「少しヤワな子」のことを
「アンフェア」と称していると同時に、
憧れを抱いている、と。

この「」の姿は、サビの部分でも
連続して語られていきます。

「ひとりで生きられそう」って
それってねえ、褒めているの?
強がり隠す弱さ 誰か見抜いてよ
「頼りにしてるよ」なんて
それって喜んでいいの?
意地っ張る心だって 誰か溶かしてよ

並列される二つの疑問文である

それってねえ、褒めているの?
それって喜んでいいの?

はともに、

いや、褒めていない。
いや、喜んではいけない。

という結論が既に見え透いています。

これはつまり、
私だって、誰かに頼りたい!」という
意思の現れでしょう。

その証左に、
強がり隠す弱さ」や「意地っ張る心」を
誰か」に解決してもらおうとします。

強がって、意地を張ってきた「」は、
もう自分だけではどうにもできないのです。

でも、内心では「少しヤワな子」みたく
誰かに寄りかかってみたい、と願うのです。
その先にあるのは何でしょうか?

――そう、それが「幸せ」なのでした。

2. でも強がって意地を張る「私」

ここまで、幸せを掴む「少しヤワな子」に
憧れを抱くも、自分だけではどうにもならない
「私」
の姿を見てきました。

2番に入っても、少し弱気モードの「」。

本当は寂しがりやなとこ
少しだけバラしてしまいたい

だけど私自身を 幸せにできるのは
結局は私だけ 勇敢にならなくちゃ

自らの弱さを露呈させてみよう、と
思ってみるものの、「勇敢」さを
追い求めてみるのです。

少し強気になってきましたね、「」。

しかし、
勇敢にならなくちゃ」という願望は、
願望であるがゆえに「」の弱さを
逆に強調してしまっています

たとえば、「お金欲しいなぁ」というのは
お金がないから発せられる言葉です。

"願望" とはいつでも、
今の自分はそうではない」という
ニュアンスを含むのです。

そう考えるならば、
勇敢にならなくちゃ」とは、
自分は勇敢ではない」という言明です。

それでも「」は、
自分を奮い立たせていくのです。

確かなオアシスとか
どこにも残ってない時代さ
たくましく推し進む力を 誇れ

確かなオアシス」を「幸せ」と
読み替えてみましょう。

すると、こう読めます。

少しヤワな子」の得た「幸せ」も
永遠不変のモノではないからこそ、
ひとりで生きられそう」ってことを
誇って生きていこう!

でも、「」が最後に求めたのは、
やはり「誰か」が側にいる「幸せ」です。

「ひとりで生きられちゃうの」
それは素敵なはずでしょう?
胸張る私になって 誰か愛したい

先ほど、
強がり隠す弱さ」「意地っ張る心」を
誰か」に解決してもらおうとする「」の
姿を読み取りました。

ここでの「誰か」を、
「私」が頼りにしようとした「誰か」と
読むのは果たして邪推でしょうか?

このように考えられるならば、
」の人物像はこう見えてきます。

誰かに頼らずとも生きていける、と
強がって意地を張ってきたものの、
か弱い女性が掴んできた幸福を
自分も手にしたいと願っている人

3. 「手弱女」というジェンダーロール

古来から、日本には「手弱女」という
言葉が存在しています。

たをやめ手弱女
しなやかで優美な女性。たおやかな女。歌の優美で女性的な風情を「たをやめぶり」という。男性的で逞しい調子は「ますらをぶり」という。(実用日本語表現辞典)

この言葉からも見えるように、

女性=しなやかで優しい、庇護の対象

という構造が未だに存在しています。

この曲の主人公たる「」も
この構造にとても自覚的でした。

最初に聴いたときは、
この構造を打破していくのか、と
思いましたが、その実は全く逆でした。

実際の「」は、むしろこの構造に
しっかり乗っかってい
といえます。

少しヤワな子」の手にした幸せを求め、
弱さ」を見せようとする「」の姿を
ここまで見てきたかと思います。

そもそも、世の中の構造や時流というものは
伸るか反るか」の二者択一しかありません。

私は●●なんて流行りものは嫌い!
という人がいたとしても、
その流行を意識しているという点では、
流行に乗っている人と同列なのです。

「私」の場合は、
この「女性=か弱さ」という構造に対して
反るかと思いきや伸る側でした。

4. おわりに

Prima Portaの1stライブでの、
相良茉優さん・高柳知葉さんのデュオを
契機にして、Juice=Juiceさんの楽曲について
その歌詞を紐解いてきました。

この曲を歌い上げた二人に対して、
」という言葉で形容したワタクシ。

でも、今なら違うと言えます。

この「」という人物像を身にまとった
相良さんと高柳さんです。
そんな二人に贈る言葉はひとつだけ。

「私も貴女を愛したい」

(以上、オタクの戯言でした)

5. ホントの戯言

この『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』は、メンバーの宮崎由加さんが最後に参加されたシングルだそうです。

見つけてしまいました、ワタクシ。

さすがハロプロオタクのともっぺ。

そして、この曲のカップリングは

25歳永遠説

奇しくも相良茉優さん、25歳

相良茉優よ、永遠なれ。

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