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深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ

東京都写真美術館で深瀬昌久の写真展を見てきた。
時代の流れに沿って1人の写真家の人生そのものが感じられるような構成で、結論から言うとなんていうかただただ切ない気持ちにさせられた。
深瀬昌久について僕はそんなに事前知識はなかった。とはいえ洋子シリーズや家族写真のインパクトは初めて見たときからずっと頭に焼き付いたし、なんとなく私小説的な。極めてパーソナルな写真を撮る作家、というイメージだけ持っていた。


展示構成[全8章]
1章|遊 戯
2章|洋 子
3章|家 族
4章|烏(鴉)
5章|サスケ
6章|歩く眼
7章|私 景
8章|ブクブク

初期の作品は構図も凝っていたりギラギラした写真が多い。洋子のシリーズはそのギラギラした視線が1人の女性に圧倒的に注がれていて、その写真を見るこちらも目がなかなか離せない。
洋子と別れた後の写真から少しずつ変化が現れている。
自分の家族写真を撮り始めるがストイックさが増していて「鋭さ」みたいなものはここらへんがピークだったようにも感じる。
その後旅をしながらカラスをたくさん撮ったシリーズもちょっとステージが変わったというか、けっこうすさまじいい。
写真自体はほとんど黒々とした画面の中で光る目が並んでいたり、抽象的にも見えるのが多いんだけど、焦燥感に駆られてるようなエネルギーも感じる。この頃はそこそこもう歳を取っているはずなんだけどそのエネルギーはなぜか若者が持て余すそれと似ている印象だった。
この時期のことが一番気にかかる。いったいどんな心境で旅をしながら撮りつづけていたんだろう。
本人が「自分がカラスだと思っていた」というようなコメントも残してるんだけど、だとしたらこんな写真を撮っている精神はタフすぎるとしか思えない。逃げているのか逃げられないのかよくわからない。


そしてその後はなにか切りがついたのか、かわいがっていた猫を撮ったり、とにかく街中を撮りまくったりするようになる。


最後には風呂の中の自撮り。それも異常な量の自撮り写真を並べる個展を開いている、そしてそのシリーズを最後としてそれ以降の写真はない。
自撮りの「ブクブク」以降も撮っていたのかは知らないけど、大量に自分の顔を撮りまくってる最後の章の展示を見ていると怖いなとも思ったし、すごいなとも思った。ただこうやって初期の頃からの写真をずらっと並べられてしまうと、切ない気持ちが一番大きかった。
写真を撮る行為にひたすら忠実で、最後にはそれが自分自身に向けられていく。これ、もし順番が逆ならよかったのにと思わずにいられなかった。
でもそうではなくて、最後は自分をパシャパシャ撮りまくって終わるのだ。

写真に限らないけど、創作物に入り込んでしまう人生っていうのはやっぱり怖いものだよなと思った。
それが写真だと必ず被写体が必要なので、それは特に厳しいと思う。
写真には色んな側面があって、コミュニケーションだったり、断絶だったり、記録だったり、それらが人に対して向けられる時はけっこう怖い力を持ち得るものなんだと改めて感じた。面白いけど、怖かった。


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