ギヴン(劇場版個人的感想)

何回か見に行く予定ではあるが
自分の記録の為に記載。

まず、劇場版でよかった…
アニメ版はどちらかというろ立夏と真冬の二人の若い「高校生」組が
メインの話になっているに対してこちらは

大学生…枠的に言うと「大人」組がメインになっている。


なのでTVではできないことができるのが映画の魅力ですね。

・私はどこにでもいるOLでありキモオタですので
その参考程度になれればどうぞ、一応原作は読破済みです。


・今回の映画の魅力は各々キャラのテレ顔や
振り向きな描写が原作を動かしたかのような美しさにして
とてもよかった、語彙力が低下するレベルである。

高校生組の恋愛は早かったのに対して
大人組はじっとりともどかしく季節が変わるまでと
「ありきたり」ながらも「感情がわいてくる」今作になっていると思いました。普通にありきたりな普通な恋愛なんだけどもそれがまた心に響く。

(ありきたりと区切っていますがそういう恋愛のほうが逆にクるときってありません?)

※ここからは私が思ったキャラ知識が少々、かなりかもしれないですが解釈違いならごめんなさい。すいません、今手元に原作がないのですごく間違っていたら申し訳ないです。

高校時代に出会った雨月と秋彦。若い頃っていうのは夢があり、秋彦も自分が一番になるという夢をもつ高校生でしたが雨月という同じ学年の「天才」と出会ってからはその夢は潰えることになります。

地下室の日当たりの悪い防音がしっかりしている「音楽」と向き合うために作られた部屋は秋彦と雨月の愛の巣である。しかし、愛の巣といっても雨月から恋人という関係を切っていてその関係を終わりにしたくないからか秋彦はまたこの光が入らない地下室の部屋に戻ってくるんです。

今回 雨月・秋彦・春樹 という大人3人の恋愛が一応決着つくんですが凡人な私がみても面白かったのってみんなが言う・部屋のはなしでした。

雨月の家(部屋)というのは地下で防音。「音楽」をいつ奏でても怒られない最強の環境になっているんです。音というのは自分の息だったり、食器の音だったり、自分が奏でるヴァイオリンの音だったりと自分が作り出す「音」や雑音というのは自分が動かない限り、もしくはしない限りは無音にできる環境化なんですよね。

対して、春樹の部屋については日差しがたっぷりはいって高台にマンション?があるのか遠くからの花火も見えるくらい部屋の中には「外」の音がたくさん入ってくる環境。自分が音を出さなくても車の音・近所の子供の声、色んな「雑音が入ってくる」環境化。今回は奇妙な同居生活を秋彦と送るわけですが長年雨月の家にいた秋彦からすれば180度違う家にいるわけじゃないですか…たぶん一番心情が変わってくるのは秋彦だと、視聴者だともすぐわかります。


春樹と雨月、(自分のことを凡人という人間と誰もが思う天才)その部屋の作りはとても対比になっていてよかった。

花火のシーンのときも名前は出さないにしろ、自分が好きな雨月のはなしをするところ…しんどい、(つらい)という気持ちを素直に言えるところ…やっと、やっとこういうのを言える相手に出会えたね…っていう気持ちでした(笑)


ちょっと、書くのが疲れたのでこの辺で一度編集を終わります。また書きます!

#ギヴン

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