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[やすらかな虚無]への道/虚無感を解剖する【ポスト感情論】(1,812文字)


虚無感とか、虚無虚無プリンとか、

「虚無」という言葉は、一般的にマイナスイメージで使われることが多い。

いや、どうだろう。

「今日虚無感えぐいんだよね!最高だわ〜」

とウキウキする人に出会ったことないからそう感じるだけだ。いるのかな?そういう人も。



ところで、

なぜみんな、虚無=ネガティブと考えるのだろうか。



虚無とは本来何もない[カラッポ]状態のはずなのに、
マイナスな意味合いが[ある]のはおかしい。

本当に本当に[カラッポ]なら
マイナスすら感じることもないのでは?




ーーー



何が言いたいかというと、

それはまだ[カラッポ]ではない。
正確には[何かが居残っている]…マイナス値の何かが。

けれどもそれは見えていないらしい。
いや、直視したくないのかな。

向き合いたくなくて、しれっと覆い隠して、処理を先延ばしにしているうちに本当に忘れてしまったのだ。
どんぐりを隠したまま忘却するリスと同レベルということだろうか。おっと、口が悪かった。ごめん。

そうやって放置され、腐乱した[何か]の匂いが[その場]に充満している。

つまり、
[カラッポ]ではなく、[満たされている]のだ。
ただし、悪臭で。

その[場]にどれだけ高級なソファや
ガジェットを置いて、
スイートな香りのキャンドルを焚いて、
チルでメロウな音楽をかけて、
お気に入りのルームウェアを着て、
空気清浄機をフル稼働させようとも、

ほんの一瞬、
ふとした瞬間に漂う悪臭を無視できるほど、人の嗅覚はまだゴミカスではない(と思いたい)。
キャンドルの香りと混ざってしまって、原因不明の超激エグスメルになっている可能性はあるが。


昨今

「こんなに自分らしく生きてるのにまだ満たされない、、何が足りないんだろ、、虚無、、」

とほざく人が少なくないが、たぶん原因はそれだ。
モノが足りなんじゃない。別のところを見ろ、という話。

自分の好きなものを探し、手に入れるのはもちろんとても大事なことだ。

だが、これは何にでも言えることだが、

「たった1つ、
コレさえやれば全てが永遠に上手くいく!⭐︎」

なんてものは存在しない。

(これを言うやつは詐欺か、物事がさっぱり見えていないピュアなアホだ。
ピュアなアホなら許す。好きなので。)

だからそろそろ覚悟を決めて、
そのふわっふわのソファから立ち上がって、悪臭のもとを見つけて、きっぱりさっぱり処分したほうがいいんじゃない?
…というフェーズの人がチラホラいるのだが、そういう人に限って、耳の痛い話は聞きたがらなかったりする。

いいのだ。
別に意地悪で言っているわけではないし、無理にやらせるつもりもない。

先延ばしはほとんど慣性の法則で、
多かれ少なかれ、やりたくないことには抵抗を感じるものだ。気持ちはすっごいわかる。
誰だってそーする。俺もそーする。

(ちなみに、わたしはまさに腐乱の峠を攻め続けてぶっ潰れるタイプの人間だ。
具体的には、8/31に夏休みの宿題が終わらず泣きながら徹夜するし、税金を最終勧告の封筒が届くまで滞納する(案外いけた※クズ)タイプ…)

しかし、どうせいつかその時は来る。
そういう時に限って一番嫌なタイミングだったりするんだよね。

そういう意味では、強引な方がむしろ親切なのだろう。わたしは意地悪でもないし、親切でもない人間だ。


ーーー


閑話休題。まとめだが、

高級な家具、最先端のガジェット。
自分らしさはもうそこに揃っているのだから、

あとは掃除して、窓を開けるだけ。

それさえできれば、ほんとの天国が待っている。

風が吹いて清々しいその[場]は、
今までとは比べ物にならないくらい居心地がいい空間…
[やすらかな虚無]として、主を迎えてくれるだろう。

あるいは、
それは[虚空]と呼ぶのかもしれない。

(あっ、タイトル回収できた。よかった〜。)


ふーむ。

ほとんどの日本人はこれで
さらなる幸福度ぶち上がりウェルビーイングワクワクピーポーになれるはずなのだが(?)、

やっぱりこれは、それなりにキツいのだ。
その“掃除”が最後にして最難関だからこそ人は“来世に期待”するわけで、

別にそれはそれでいいんじゃない、
とも個人的には思っていて、

だってわたしは人の[場]にズカズカ踏み込んだ挙句、

「うわ!この部屋臭いですね!!私手伝うから一回掃除しましょ!?」

と手を差し述べるほど、無邪気で強引なエナジーは持ち合わせていない。
いや、それはそれで面白そうだからやってみたい気もしなくはないが、

ちょっと面倒かなって…。

うん。来世に期待。

おわり。

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