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Music,Body&String theory(1,082文字)



『石でも草でもわたしたちの手のひらでも、物質を細かく分解していくと最後には原子が残る』

これを疑問に感じることはない。
よく知られている、物質の最小単位は粒子(球)である、という考え方。

その粒子は実は最小単位ではなく「超高速のひもの振動が球状に見えているのではないか」という仮説がある。

ひもという言い方ではピンとこないかもしれない。

ヴァイオリンの弦(String)のように振動する目に見えない線があり、その震え方のバリエーションで(様々な音が鳴るように)様々な種類の粒子が生まれている、というイメージだ。

エネルギーが大きいほど振動は速く、高速すぎて観測できない未発見の分子があるのでは、とも言われている。

ひも理論、粒子という単位をさらに先へ進めた仮説だ。

仮説だが、そういうふうに捉えるとさまざまな物理計算がよりスムーズに進むらしい。

ざっくり言うとそんな感じ。

うーん。わたしは物理学者でもなければそもそも理系でもないので、それぐらいの理解が限界だった。
もっと詳しい人がこれを読んで「違うんだが」となっていたら、ドンマイ。



もしこの仮説が正しいとしたら、どうなるだろう。

「人体を含め、この世の全ては振動(さざ波)でできている」と言えることになるのだろうか。

ならミュージック、いや、"想いが乗った音"に、人の身体が共振するかもしれない、と言えやしないだろうか。

それは、耳で聴いて鼓膜が震える、というレベルではない。頭から爪先まで、身体全ての粒子とそれを生み出すエネルギーが、"楽しい音"に反応してちょびっとだけウワーっと激しく震えている、のかもしれない。

それは目に見えなくても、確かに起こっている現象。

きっと、だから人は、心が"震えた"という表現を使いたくなるのだと思った。

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「音楽はなぜ、こんなにもダイレクトに人の心を震わせるのだろう」という素朴な疑問への理由づけだ。

もちろんこれは、なんかそれっぽい理屈をつけてそれっぽいことを言っているだけのただの空想だが。

こういう無駄なことを考えるのは、とても楽しいことだと思う。



余談

ちなみに、ライブによく参加する人は寿命が伸びている、という説があるらしい。

また社会学では「音楽のライブは現代の"無礼講"、熱狂し、日常のしがらみを忘れ、明日のためのエネルギーを蓄える---昔でいう"お祭り"のような役割を果たしている」という解釈がある、とも、どこかで聞いた気がする。

ここまで理屈をこねまわしておいてなんだが、原理とか根拠とか、本当はどうでもよいのだ。

それはただただ人に必要で、不可欠で、贅沢で、すてきなものなのだろう。

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