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【ひとりごと】魅力と重力の相似について(カリスマ-グラビティ仮説)


小さい頃から、カリスマってなあに、と疑問に思っていた。

いや。うーん。
もちろん、アニメや漫画のキャラクターでニュアンスとしてはなんとなくわかる。自分が「そう」ではないことも。

でも、じゃあどんな性格がどういう環境で育ったらそうなるのか…どうやればそれを模倣・再現できるのかとかは、はっきりとはわからない。
つまりヒーローやヒロインのことかな?とも考えてみたけど、「悪のカリスマ」という言葉もあることを考えると、その性質自体には善いも悪いもないようだった。

自分なりにでいいので、いつか腑に落とせたらと思っていた。


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まだはっきりとした結論は出せていないが(未熟者なので…)、現実世界でいろんな人を見るにつけ、

なんとなく、カリスマとは引力なんだと思った。

いや、比喩ではない。
人と人の間…「人間」に働く自然法則、いまだ観測叶わぬある力場。本当にそういうのがあるのかもしれない、と想うようになった*。



善の(正の?)カリスマは、いわば恒星とか惑星みたいなものだ。
彼らには大きな重力があるが、同時にそれらを自分で支えるだけの熱量も持っている。
ゆえに、他の星の引力を無視しない。侵食せず、足し引きのバランスを保ち、ただ調和して、
衛星たちを自身の周りで公転させることができる。

その熱量と、衛星自身が持つ資源によっては、
奇跡的に、永遠ほども長い時間、生命が栄えることもあるのだろう。



対して悪の(負の?)カリスマは、ブラックホールなのだと思う。
自重で極限まで圧し潰され、支えられなくなった星。境界を越えると、光すらも身動きできず永遠に囚われる。
彼らはもう、何かを転がしたり循環させることはない。「周りを侵食し大きくなる」以外の習性を持ち合わせていないのだ。
ブラックホールの先はまだ観測できていないため、もしかしたら別の世界が存在するのでは?という説もあることを考えると、
案外吸い込まれたからといって終わりではないのかもしれないが、少なくともこの世からおさらばなことは間違いない。



そういう風に対比するとまるでブラックホールを排除すべき対象だと感じる人もいるかもしれないが、
引力は引力だ。
先に述べたように、そこに善悪はないと私は思っている。身の安全をわきまえて、一定以上近づかなければいい話でもあるし。

しかし、自分という星がどこへ引き寄せられ、何の周りを回るのか、
自分は現在衛星なのか、惑星として成長中なのか、それとも熱的死へ向かおうとしているのか、とか、
どこかで一度、向き合ってみても損はない。

そしてもし、
自分が望まぬ方へ引き寄せられてしまっていると感じたら。
私たちは星でも植物でもないのだから、
どこでも好きなところへ逃げることができるということも忘れてはいけない。


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これはもちろん、人間関係を宇宙に重ねてみただけの空想論なのだが、
案外うまいこと噛み合うものだから、
人間関係も自然法則も面白いほど胡乱にできるもんだなあ〜と自己満足したりするのだった。

無責任に無駄な空想捏ねとる時が一番楽しい。

おわり。




注*
そう空想していた方が面白いから、というのもあるが、
ジョジョ6部で「君は引力を信じるか?」というDIOの言葉にうっかり(アリだな…)となってしまった、
というのが、ぶっちゃけこれを書いた一番の理由である。

6部ってあんまり評判良くないけど、私はあの「循環する時間」という宇宙観がすごい好きだ。敵も神父だし、荒木先生、キリスト教観における宇宙について取材したんだろうなって…

えーと…うん…ジョジョ面白いよね。今は9部を追っています。
7部が一番好きです。よしなに。

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