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社会批判で命を無駄遣いしていた頃の話(1,482文字)


ジェンダーとか人種差別とか引きこもりとか、
そういう、なんていうのかな、社会問題について非常に闘争的な時期があった。

そう、あった、だ。
あの頃に比べたら、今はすごく関心が薄まったと思う。
先日、政治への意識が高い友人と話していて
あ、やっぱわたし意識低くなったな…と感じたが、

だからどうということもない。焦りも罪悪感もなかった。

闘争と連帯に燃えている友人にしてみれば、歯がゆい返答も多かっただろう。めんごめんご。


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閑話休題。さて、

そういう談義をする程度に社会を客観視できている(と思っている)頭のいい人というのはたいてい、
社会集団が全然良い方向へ舵を切ってくれないこと、
謎にめっちゃ腰が重いことに頭を悩ませているようだ。

「私たちは正しいことを言っているのに、なぜ同調しないのか」と憤り、実際に動かない人や正しい行いに反した人間を見つけると、悪人として断罪する。

みんないいひとだ。動機が善であることも認めよう。
「誰かを傷つけるな」と怒っているのだから。


でもその態度、行動だけを見ると、
なんて傲慢で、依存的で、暴圧的なんだろう、
と思うのだ。

だってそんなに熱い想いを持っているのなら「ネットで不満をこぼす」よりほかにもっとできることがある。
たとえば「周りが動かないなら自分が動かす」という意志を以て、自分がリーダーになるとか。

インフルエンサーでも、コミュニティでも、イベントでも、なんでもいい。誰かに言うことを聞かせたいなら、自分が言うことを聞いてもらえるリーダーにならなければならない。
それが建設的な努力であり責任感であるはずだ。

「自分はリーダーではないけど集会には参加している。文句を言う権利がある」と言いたくなるかもしれない。
それは言い訳だ。
確かに何もしないよりは500倍マシだ。それは間違いない。
でも自分がインフルエンサーになれば集会で文句を言うより5,000,000倍発言効率が良いのは明らかなのだから、
情熱を持ってそこを目指すのが「合理的で正しい意識改革」であるはずだ。

でも、そこまで突き抜けている人はほとんど見たことない。
自分が主宰側にならないの?と問うと「忙しいから…」「自信がないから…」と、気まずそうに目線を逸らし黙ってしまう。

そう。
社会の腰が重いのではない、
自分の腰が重いのだ。

別にそれ自体は悪いことだとは思わないが(わたしだってリーダーになるほどの自信は持ってない)、
それを棚に上げ、誰かが用意した場所に胡座をかいて文句を言い散らかすだけの人に、誰が耳を傾けるというのだろう。少なくともわたしは聞く気にはならない。

自分で努力する勇気がないならせめて、ただただ身にならない不満を言ってるだけの時間と気力をすべて自分が笑顔になれる別のトピックに回すべきだ。
世界に幸福の総量を増やすつもりで。その上で、集会や選挙に粛々と通えばいい。
そっちの方が有意義だ。わたしはそうすることにした。


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意地悪な逆張りに聞こえたかもしれない。そういう見方もあっていい。けれど、

誰かをつい批判したくなるあなたの動機が
悪でないことはわかっている。

そしてあなたが敵だの悪人だのと憤っているその人も
ほんとうは、
あなたよりさらに周回遅れの場所で「自信がないんだよ」「もう精一杯だよ、否定しないでよ」と怯え途方に暮れて立ち竦んでいるだけの可哀想な手負いの人間であり、

彼らに向けるべきは敵意ではなく信頼と許可であり、

それができないなら、それをできる人になることがあなたの課題であると、

もし気づいていない人がいたら、伝えたいなと思ったのだった。

おわり。

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