新しさに触れる時、大事にすること

確固たる信念を持つ人に強烈な憧れがあった。
ブレない人間は人を惹きつける。
人はふつう、迷ったり失敗したりしながら自分を見つけていくので、屈せず貫き通せるものを持っている人は「強い」とされる。

最近はその確固たるものへの憧れには懐疑的な気持ちでいる。
というか、自分はまだその段階ではないと思った。

少ない学びから捻出したに過ぎない未熟な不変の軸みたいなものがあると、何を見て・触って・学んでも、結局同じような結論に「至らせてしまう」気がする。

例えば人との関わり方について
誰かの記事を読んだ時、チームでデザインするその手法や工夫に注目すべき内容なのに「チームでデザインするって重要だな〜」とか
ドラマを見ていて、全然メインのテーマではない部分ばかり取り上げて「やっぱりこういう時助け合える関係っていいよね」とか。
趣味で得た学びをなかば無理やり仕事に結びつけたりとか。

何かと何かの共通点に気づいた時には、それが表層であっても事の本質を見つけたような気分になる。いや、実際自分にとって本質なこともあるかもしれないけれど。その判断を下すための思考力の礎、知識や経験は果たして足りているだろうか。

早い話が、学びの機会を無下にしている気がしてきたのだ。
だから新しいものに触れる時には特に、なるべくフラットでいることにした。

大人になってからまっさらな気持ちでいることは難しい場面も多いけれど、自分を省みた時に固執する一点にそこまで価値があるとは思えない。
このまま自分の引き出しだけで判断し続けて至る未来は、今と大差があるだろうか。

積み重ねた経験を軽視するのではなく、それによって培われた感性の方を尊重するイメージでいる。
どう感じたか素直な気持ちの方が大切で、過去の事実と無理に照らし合わせたりする必要はない。感性自体がすでにこれまでの人生で醸成されたものだからだ。

最近は新しい趣味も始めたしもうすぐ住む場所も変わる。
これからどんなものに出会えるか、以前よりも楽しみに感じる。


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