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大学サッカーにありがとう。



10月31日。

この日のリーグ戦をもって、大学サッカーは終了した。





私はキャプテンだった。キャプテンとしての素質は無かった。

チームを、サッカー部180人を統率するだけの力が無かった。

故に今年掲げたスローガン「共創進」のようなシーズンを、創ることが出来ず、責任を感じている。








振り返れば入学から約一ヶ月、大学サッカーデビュー戦を迎えた。
先輩GKの怪我や就活、自分が同期より少し早く大学に練習参加していたということもあり、実力ではないが、デビュー戦を掴み取った。



舞台は天皇杯県予選決勝、ヴェルスパ大分。
毎年テレビから見ていた舞台に、自分が立っている。


緊張はしていないつもりで、いつも通り大きなコーチングでリズムを掴もうと思っていたが、声が思うように出なかったことを覚えている。

結果は0-1。本戦出場は叶わなかった。

翌週、大学リーグの試合にも出場した。
ホームグラウンドで相手は福岡大学。


言わずもがな福大は全国経験の多いチームで、正直、自分はこれからどんな攻撃を浴びせられるのか、という心境だった。

キックオフと同時にピッチサイドから仲間の応援が聞こえる。


そして前半訪れた相手と1vs1の場面。

ゴールから見てやや左から来た相手選手のシュートを右手でバー上に弾き出した。

続けてそのコーナーキックにも自ら飛び込み、ゴールを守った。




その後は前半に一点を奪われるも、後半、四年生の活躍で逆転。2-1で勝利した。

とても気持ちよかった。嬉しかった。はやくみんなと喜び合いたかった。

その後久留米戦に出場し勝利するも、怪我によりチームを離れた。

福大戦後に内転筋を痛めた。
原因はわかっている。ボールを蹴りすぎた。

福大戦では勝利を収めたものの、キック力の無さが顕著にあらわれた。

ゴールキックはハーフラインまで飛ばず、全て相手に跳ね返され、攻撃が一瞬で守備に変わる。体を張って守ってくれて、なんとか得たゴールキックを、台無しにしてしまう。嫌だった。だから練習した。蹴りまくった。怪我をした。情けない。

それから試合に出場することは無かった。
立ちたいピッチは目の前なのに、仲間は今も練習しているのに、自分が情けなかった。目標が定まらず、行動が中途半端なまま、1年が過ぎた。



翌シーズン、2年となって迎えた第6節、日本経済大学戦。

この試合はやっと掴んだ復帰戦ということもあり鮮明に覚えている。
前半すぐに得点を奪い、それからはチームも自分も落ち着いたプレーが出来た。

先輩とずっと練習してきたゴールキックも、飛距離や力の入れ方の部分で自信になっていた。

結果は4-0。

そこからは継続的に出場機会をもらい、総理大臣杯の枠も掴んだ。

迎えた東海学園大学戦。0-3の完敗。
目標であるベスト8も見えず、全国の壁を感じた。





冬また戻ってくると高め合い、後期リーグを戦う。


2019年10月26日 第18節 鹿屋体育大学戦。0-9。
攻撃、守備、コミュニケーション、すべての歯車が合わない。

インカレに行くためにも1位の鹿屋には負けられない。
そんな中の試合だった。
リスクを負わず、完璧を求め選択をする。自然と球離れも遅く、チャンスを作り出せない。

相手はそんな自分らの停滞した攻撃、いや、ボール回しの隙を逃さず果敢に仕掛けてくる。

点差以上の完敗だった。

ゴールキーパーとして失点しないようプレーをし、無失点にこだわるのは当たり前だ。
しかし、失点を受け入れるメンタルを持っていないと90分戦えない。

「あの時違う選択をしていたら」「負けているけど攻撃を1テンポ遅らせていれば」とか試合中に考え込んでも仕方がない。

常に冷静に。
心は熱く、頭は冷静に。よく聞くけどその通りだ。



翌週、九州産業大にも負けた。残り2試合。もう後がない。



アウェー、宮崎産業経営大学。2-1。
勝った。守った。インカレ出場圏内3位に浮上。




しかし接触プレーで怪我をした。

頭をよぎるのは怪我をして1年ピッチから離れた記憶。

葛藤。

寝る前に、明日の朝が良くなるタイミングであれと祈り、
治らず落ち込んで1日が始まる。



大丈夫と嘘をついた。
いつくか誤魔化せても、安心してプレーできなかった。

コーチも気付いていたと思う。
自分に対し怪我には触れず、最近のプレーについてアドバイスをくれた。

このタイミングで本音を話した。

「今のままでは守れません。」


頷いてくれた。その決断を待っていてくれた。
最初から状態をわかっていて、その先まで想定して、選手一人一人にとってのベストな方法を示してくれていた。

この時、あの記憶は頭をよぎらなかった。

自分にはこれからどうしたらいいのか、どうするべきなのかがわかった気がしたから。




インカレには出場できず、オフを挟み翌シーズンを迎えた。



三年目のシーズン、副キャプテンとしてのシーズン。

この年のチームは、それまでと戦術も配置も異なり、自分の特長を多く出せるものだった。

練習でそれを感じ、チームとしてもスローガンである「繋」通り、結束あるチームになっていた。

そんな矢先にリーグ戦の度重なる延期。総理大臣杯の中止。
もがき方さえわからなかった。


練習も制限。外出も制限。
サッカーというチームスポーツで、個人練習では物足りなさが残る。

ここでこう連携して守る。味方が点を取ってくれる。チームで喜ぶ。

成功体験も失敗体験もなく、強制的に分断されているような感覚。


動き出したのは7月の天皇杯県予選。


大学の公式戦は9月の交流サッカー大会から。

無観客開催が続き、他のチームの応援もできない。親にも見てもらえない。

そんな閉ざされたピッチでの試合が続いた。



リーグ戦は10月に開幕した。後期リーグのみの変則的レギュレーション。

迎えた12月6日。約二ヶ月の短期決戦だったリーグも最終節。宮崎産業経営大学。

勝てば冬の全国出場。そして創部初の初優勝をかけた一戦。

立ち上がりから均衡していた中で、前半終了間際に先制。
後半立ち上がりに追加点。

1失点するも崩れること無く組織で守り、2-1で勝利した。


他会場の試合が同時刻ではない為、大分へ戻った後、チームメイトと試合をネット観戦した。

スコアが動くたびに一喜一憂し、終了と同時に歓喜。いつのまにか涙が出ていた。

初優勝。本当に一番嬉しかった。






そして九州第一代表として出場した全国大会。
結果は敗戦。まだまだ力が足りなかった。







四年目のシーズン。キャプテンに就任した。


チームが始動した翌月の3月、九州選抜としてDENSOカップに出場した。

結果はベスト4。残り3チームは関東で、差を実感した大会だった。

この舞台にはJ内定選手が何人もいて、今後の自分の場所を決める大きな大会だった。

緊張感はなく、自分自身を過信せず、出来ることを誰よりもしようと思った。

注目度の高い大会であっても毎週末の紅白戦であっても、自分がプレーできる機会には変わらない。

楽しかった。

いつもは九州リーグで戦う選手と、今度は仲間として繋がり、警戒していたプレーも、自分らの強みになる。

そんなことを経験できる機会は滅多にない。


大会期間中、サッカー教室に学生スタッフとしても参加した。
そこでは他の選抜チームのメンバーともコミュニケーションを取り合い、教室後もそれぞれの試合状況やプレーについて報告し合う、良きライバルになっている。


人と人を繋ぎ、感情を共有、伝え合う。そんな豊かさをサッカーを通して創造できること、サッカーってやっぱりいいな。



選抜活動が終わり、自チームに戻る。

今シーズンは4月から開幕し、5連勝。

そして、トーナメントでもなんとか九州第3代表となり、総理大臣杯出場を決めた。




8月24日、静岡産業大学戦。

目標である全国ベスト8を達成する為、一つ一つ戦っていくその初戦。

球際で戦う仲間、声をかけ合うメンバーを最後尾から見て、

行ける。

と思った。

前後半に1点ずつ奪い、終了間際に一点返された。

試合終了。

負けが続いていた全国初戦を突破した。




続く8月27日、日本大学戦。
対戦チームがニ度変わる中で迎えた2回戦。

ベスト8への正念場。

立ち上がり、マークの受け渡しをうまくコーチングできず失点。

しかし、チームの目つきが変わることは無かった。

前半29分、自陣ビルドアップからサイドへ展開。クロスボールをトラップから落ち着いてシュートをし同点。続く43分にも背後へ抜けるFWへDFから一本のパス。

逆転。

後半は多彩な攻撃を仕掛けてくる相手に対し、全員で体を張り凌いだ。

試合終了のホイッスルが響く。


全国ベスト8達成。



目標を掲げ、そこへ到達することの難しさ、そして達成感。
同時に次の目標であるベスト4、そして日本一が見えるとこまで来ていた。

サッカーをやっているものなら何度も夢見たであろう日本一の背中が、初めて手の伸ばせるところまで来た。という感覚だった。


次の法政大学との試合、1-2で敗戦をした。
やはりそんな甘くない。そこからの世界はもう一段も二段も壁が高かった。




これから九州へ戻る。絶対に厳しい戦いが待っている。

そんな覚悟で大会を終えた。




インカレ出場を目指す全5試合。これまでのリーグの結果は関係なく、この5試合の結果で三枠を争うレギュレーション。

結果は1勝3分1敗の4位。

10月31日のリーグ戦をもって、大学サッカーは終了した。









大学サッカーを終えて思うこと。

真剣である事に悔いはつきものなんじゃないかな。

追求し続ける事に悔いはつきものなんじゃないかな。

その悔いがあるから未来を切り拓けるんじゃないかな。

悔いがある限り、新たな成功がある。

大学4年間で効率よく過ごせたことなんて一つもない。

その時々で常にああしとけばこうしとけばって考え込んで、

自分を見失いそうになる時もあったし、

自分の出来ることと出来ないことを整理して出来ないことの多さに落ち込むこともあるし、

でもその悔いがあるからこそ、次のいい経験に繋がったと思う。

次の進化した自分に繋がったと思う。


どんどん新境地に飛び込んで、

たくさん失敗して悔いて、

悔いるたびに強くなれる。




そう思えば、自分に自信を持てる気がする。






行動する時、挑戦する時、周囲を気にする。

自分の意見と仲間の意見、どちらも間違っていないから、

押し通す事に壁を感じることがある。

だけど、どうせ壁になるなら両者譲らないくらい強く押し合え。

自分の意見を自分が信じて貫け。

そういうものがキャプテンには必要だった。


自分はまだまだ弱かった。

尊重するという言葉に隠れて、責任を分散させようとしていたように感じる。




これが今の悔い。

だから強くなれる。



後輩へ

先輩たちを見ろ。何をしてきて、どうなったか。

偉そうにいうつもりはないが、先輩である以上君たちよりも何かを経験し、君たちよりも早く終わりという節目を迎えた。

いいと思うところも、失敗したことも、全て後輩に見せてきたつもりだ。

後輩一人一人が自らの目標に対し取り組む中で、成功例も失敗例も何かヒントになればいいと思ってる。

いいように使ってくれ。




長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。

そしてこの4年間日本文理大学サッカー部を気にかけ、応援していただきまして、本当にありがとうございました。

これからも頑張ります。

来年もどうかよろしくお願いいたします。



2021年度日本文理大学サッカー部 主将 清水羅偉



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