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てんぐの銀英伝考察:ヤン・ウェンリーとは怖い男である

 人様の感想記事に便乗するってのも横着だなと思わないでもないですが、話のイントロを考える上では楽なんですよね。
 というわけで、今回は引用先の方も感じた、ノイエ銀英伝のヤン・ウェンリーの“怖さ”についてがお題です。

 ノイエでのヤンを見て「怖い」と最初に思ったのは、イゼルローン攻略時にゼークトの旗艦を撃てと指令したときでした。
 決して激昂するでもなく、条件が揃えば、自分が無言で設定していたファールラインを越えた相手に「ならば死ぬんだね」と冷ややかさの元に自動的に発動される殺意、そんなものを感じました。
 あえて例えると、映画アウトレイジシリーズで北野武がいつもの「バカヤローコノヤロー!」すら出さず淡々と銃のトリガーを引くシーンのような、そんな怖さと言っても良いでしょうか。

 あのプラネタリウムで独裁教唆するシェーンコップに対して「君の考えを他の誰かに話したことはあるか?」という問いも、「君、いま俺の設定してるファールラインのすぐそばに立ってるからね?」というサインとしても受け止められました。

 また、バグダッシュに銃口を向けられてもヤンは平然としていましたが、その理由は彼に殺気がなかったからだけでなく、ユリアンも彼の背後に銃口を向けていたからでもありました。
「お前に人を殺してほしくないよ」とユリアンに笑いながら言いながら、一方で人の背中に養子が銃口を向けてることに何も言わないでいたヤン、これもまた怖いところです。

 そんなヤンですが、周囲が思っているより遥かに謀士・策士としての適性は高く、その適性を発揮させたいという極めて強い欲求を感じているのではないでしょうか。
 その欲求という内なる邪竜が解き放たれたとき、どれほどの災いをもたらすか、その責任を自分は取れるのかという自問と恐怖はヤンと共にあった。
 それが現役の高級軍人としてのもっとできるはずの政治的な活動すら封じてしまった。軍人という職業全体を嫌わねばならないと不必要なほどに思い詰めてしまったのではないでしょうか。

 ある意味で、ヤンは民主主義国家への忠誠心は強いわけではなく、そして同時に自分の内なる邪竜を飼い馴らせる最良の職業が共和国の軍人だった、と言えるかもしれません。

 そんなヤンが、自分の青春の最後の1ページを踏みにじった者たちに対する復讐のために、全ての自制も正義も顧みずに自分の内なる邪竜の封印を完全に解いた、生涯ただ一度の例こそがクーデター鎮定の最終局面でした。
 あのときのヤンは、帝国の英雄ラインハルトではなく、その謀士オーベルシュタインとこそ対をなすように見えました。
 そして、冷徹なる策士たる“あの”オーベルシュタインより、ついに謀士という印象を他者に抱かせないヤンの方が、謀士としては恐ろしいのかもしれません。


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