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てんぐ式「銀河英雄伝説 Die Neue These」の見方

4月6日より、いよいよ銀河英雄伝説Die Neue These(以下DNT)がNHKに見参いたします。

事前の特集番組でもDNTの見どころを解説してくれていましたが、てんぐもキャリアだけなら中学生以来ン十年になる銀英ファンです。そんなてんぐの視点から見た、「DNTのここに注目してくれ!」というポイントを並べてみました。

“英雄”VS“プロ”

原作または石黒版のファン、または名前は聞いてるけど実際に見たことはないという人も、銀英伝の世界観が「英雄が超絶的な才覚を振るい、歴史をダイナミックに動かしていく」というものだという事はご承知と考えます。

DNTはその点に加えてもうひとつ、「自分の仕事に対して矜持を持つ“プロ”」にもスポットを当てています。

例えば“理屈倒れ”の異名で有名な帝国軍のシュターデン提督。第1話では、既存の理屈に拘泥して総司令官ラインハルトの作戦案の意図を理解できない姿を見せます。そこは既存の媒体と同様なのですが、その総司令官に対して「勝算がおありか!」と鋭く叫ぶ姿には、年長の軍事専門家としての矜持が確かにこもっていました。

また、同盟サイドの主人公ヤン・ウェンリー提督が、後に少し迷惑すぎるくらいのヤン推しとなる“薔薇の騎士”シェーンコップ大佐とコンビを組んで挑んだイゼルローン要塞攻略作戦に立ちはだかる警備主任レムラー少佐。レムラー少佐は原作含め他の媒体でも登場しますが、シェーンコップとのヒリつくような探り合いと心理戦を見せたDNT版がダントツで魅力的です。というか、後々に役職変えて再登場とかしてほしい

同盟軍からは、まずは第13艦隊(後のヤン艦隊)内の空戦隊付きメカニックのトダ技術中尉の誠実さ、友軍に対して身を挺して責務を果たそうとした第7艦隊司令ホーウッド中将とその指揮に従った同艦隊のクルー。

DNTは、“英雄”と彼らが動かす歴史の奔流に抗い敗れながらも、それでも己の矜持を見せ続ける“プロ”たちのドラマにもなっています。その姿にも、どうかご注目ください。

“俺”の民主主義!

銀英伝の世界観として、「清新な専制政治と腐敗した民主主義」という対立軸が挙げられます。この点についても、DNTは独自の解釈を盛り込んでいます。その中心に立つのが、婚約者を戦争で失ったことをきっかけに反戦運動に身を投じた自由惑星同盟の女性政治家、ジェシカ・エドワーズです。

DNT邂逅編は概ね原作準拠で展開するのですが、その中でジェシカに関するオリジナル展開も随所に盛り込まれています。そのオリジナル展開が収斂されるのが第9話のクライマックス。

当時の同盟政府が支持率稼ぎのためだけに無用な出兵計画を発動させてしまうという「腐敗した民主主義」を象徴してきたこのエピソードを締めくくるのが、同時期に立法議会の補欠選挙に出馬したジェシカの決起集会です。

演説するジェシカ、そして決起集会に集まった人々を映し出すこのシーンは、後にヤンが語る「政治の腐敗とは政治家が賄賂を取る事じゃない。賄賂を取った政治家を糾弾できない社会を政治の腐敗というのだ」というセリフの対を為す、「政治家や軍隊がどうこうじゃない、いま自分が何をするかだ」という民主主義の実践を高らかに謳いあげる名シーンになりました。『いだてん』の田畑政治の表現を借りるなら、「俺の民主主義!」ということになるのでしょうか。

もしてんぐが「DNTのベストエピソードをひとつだけ挙げろ」と言われれば、迷わずこの9話を挙げます。それくらいに素晴らしいので、この回と、そこに至るジェシカ関連のエピソード、そしてそのエピローグでもある星乱編ラストのヤン・ウェンリーの表情まで、どうか是非ご覧ください。

なお、余談ながら。上記のジェシカ関連のオリジナル展開で、あの「首から下は無用の男」とまで言われファンからは超虚弱体質、肉体年齢はもはや老境扱いされてきたヤン・ウェンリーが、スタントドライバーなみのカーアクションを見せるくだりがあります。正直、これから先のどのような魔術より、このカーアクションの方が奇跡だったよ。

そんなDNTヤンですので、いっそこの方なみにのエンシェントカンフーを披露していただいても一向に構いません。むしろやろう。

“帝国門閥貴族”とは何か

専制政治、または貴族制社会を形成するゴールデンバウム朝銀河帝国。で、「この“門閥貴族”って実際何なのよ?」という疑問を抱く人もいるかと思います。で、この回答が意外に難しい。

DNTに限って話をしますが、帝国貴族というのは、政官界(ただし身分制議会を含めた立法府の存在や三権分立の概念はなさそう)、軍部、財界、学会や言論界などあらゆる分野における指導者集団が血縁関係で結びつき形成された排他的なコミュニティの構成員“門閥貴族”だ、くらいに考えて良さそうです。

作中登場する公爵、侯爵、伯爵クラスの大貴族の場合、例えば財閥のオーナーとなって経営は平民ビジネスマン任せで自分は配当だけ受け取っている、または軍の高級士官を傘下におさめて軍閥のボスとなる、あるいは辺境星域の開拓事業を牛耳り荘園化する、などの稼ぎ方が想像できます。

で、ヴィクトリア朝風の服飾文化のおかげで、こういった「記号としての悪者」ではなく「社会の構成要素」としての門閥貴族像もDNTでは大変イメージしやすくなりました。

また、そんな帝国貴族社会とその象徴たる皇帝を激しく憎悪し、その打倒を誓うラインハルトもまた、成り上がりとはいえローエングラム伯爵という帝国貴族であることに変わりはありません。

そして、帝国と同盟の内戦がテーマになる星乱編で、帝国軍の宿将メルカッツ提督が自己の体験を踏まえて語る「特権とは人の精神を腐敗させる毒だ」という言葉、その意味するところを傲慢な門閥貴族の領袖たちだけでなくラインハルトすらも等しく浸していくその恐ろしさとその先に待つ悲劇が剥き出しにするラインハルトの本当の姿。この辺りもDNTの最大の、また独自の見せ場のひとつです。

最後に

DNTにはこの他にも意識してほしいポイントは色々あります。

例えば宇宙艦艇なら、艦長や提督が帝国貴族であることを前提として生存率と個々の武勲を立てるために個艦性能を向上させた帝国軍と、敵の6割強の兵数を有効活用するために個艦性能を落としてでも整備性や生産性の向上を図る(しかし損耗の拡大を受け個艦性能の向上へ方針転換を図ったと思われる)同盟軍の違い。

また、100万マルクの夜景の背後で魑魅魍魎がうごめく第三勢力フェザーン、その背後に潜む遠い昔に滅んだ旧支配者の亡霊などなど、挙げていけばキリがありません。

是非とも自分の目で見て、そして見つけた自分自身が感じた見どころを大事にしてください。

それこそが、まさに「Die Neue These」ですから。

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