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猫への勝手な信頼

私は猫へ、絶対的信頼を置いている。

先日、新しい土地へ引っ越してきたのだが、ある条件がクリアされないのでずっと不安定だった。その条件とは、『この土地では猫を見かけない!』ということだった。

(ここは猫が安心して住めない土地なのか!?)

引っ越し荷物の整理や新しい場所に慣れなくてはという疲労が加わっていたのは否めないが、猫を見かけないことが不安で夜もうまく寝付けずにいた。

長く住んでいた以前の街には野良猫がちらほらいて、散歩のたびにその子達を見かけるだけで癒されていた。大事な心の安定剤(猫を見かけるということ)が無くなったのは、私にとって相当に大きなことだったのだと思い知る。

でもある日夫が「水を入れたペットボトルを大量に置いている家がある」「あれは絶対に猫がいる証拠だ」と冷静な推理を導き出した。 そこで私も少し冷静になってみると、確かに猫よけとして有名な水入りペットボトルを置いている庭がいくつかあることに気づいた。

(見かけてないだけで、本当に猫がいるのかも)

そう確信し、その日から暇さえあれば猫を見かけないか辺りを散策する日々を過ごした。そうしてついに、のらくらと歩き回る猫たちを数匹見かける日がやってきたのだ。

「ああ! この土地は住んでもいい場所だ」

私はこの日、謎の安心感に包まれ、引っ越してきてから浅かった眠りが急激に深くなったのだった。

このように私は「自分の快適さを最優先で生きている猫」に絶対的信頼を置いている。彼らには、人間のような気の使いも、裏の心もなく、ただただ己が快適に生きていたいという純粋な欲求を感じる。それが圧倒的信頼になり、彼らがいる場所は快適なのに違いないと思わせるのだ。

日が落ちきる前の少し涼しくなる夕刻。

この時間の散策は、私にとって新天地での楽しみとなることは間違いない。

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