RAFTができるまで。vol.32
とーまさん編〜
もちろんのこと、有給とか取らせてもらえるわけもなく靴屋を辞めて、いとも簡単にガチのニートになる。
とにかくあまりにも急な退職だったので、お取引先様に連絡してオフィスに伺い、お礼周りをして1ヶ月くらいが過ぎた。
色々思われてることもあっただろうけど、みなさん優しく受け入れてくれ、これからを心配してくれていた。
そりゃあそうだろう。
歳も歳だし、転職先が決まっての退職でもなければ段階があっての退職でもない。バサッと社会から放り出されたわけだから。
それに小さな靴屋の店長の肩書きは履歴書に書いてもさほど役には立たないことはお取り引き先様の方が知っている。笑
紹介できるところ探そうかって言ってくれる人がいたり、真剣に今後を心配されたりした。
脇目も振らずにここまできたんだから、一回ゆっくりすればー?と言われたこともあり、貯金が尽きるまで遊んでやろうかと思ったけど、コロナコロナで移動もできず人にも会えず…とりあえず東京オリンピックを全力で楽しむ。
感動して感激して刺激を受けて…
そうだ、独立しよう!
社会に投げ出されたやつらの行き着く先は「独立」
…という言い方は他の方に失礼だけど💦
この2ヶ月前に、うちの近くにあるオープンしたばかりの立ち飲み屋さんで優雅に立ち飲みしていたら、「ここの裏、店舗にしたいらしくて空いてるんですよねー」というお話。
元々、今年中には何かしら始めたいなーと思っていてゆるっと小さな物件探しをしていた。
立地や家賃、規模…色々絞るとなかなか見つけられないし、何を妥協するかとか。始めたいなーのノリでゆるっと探していただけだったけど。
家の近くがもちろんいいけど、住み始めたばかりの土地に根付くことできるのかなぁとか思うと地元がいいのかなぁとか考えたりしていたとこだった。
いくつか居抜き物件も見に行ってみたりしてたところだったので、
とにかく見てみようかってことで、不動産やさんを紹介してもらい、物件を見せてもらう事にした。
…廃墟😱😱😱😱笑
10年前にスナックとして稼働していたという物件は、当時のまま、しっかり劣化している感じだった。
和式のトイレにおばあちゃんのおうちのような食器 棚。
枠だけ残った障子、凸凹の床。
棚という棚が埃まみれ。
サビだらけのキッチン周り。
カウンターのある6坪の空間。
家から徒歩1分。
切磋琢磨出来そうお隣さん。
とりあえず借りてみる?家賃も払えないことは無さそうだし、借りたらなにかやらないといけないといけない!とケツたたかれるだろうってことで、勢いで物件に申し込んでみる。
1件、内覧があったので…ということで、早い者勝ちの状況。
1週間ほど経った頃、不動産やさんから連絡があり、物件を借りられることになった。
靴屋で働きながら準備して、本業休みの日に形を考えて稼働させ…とか色々思い描いていたのに、この3週間後、会社から弾き出されることになる笑
みんなが「タイミングだったんだね」と励ましてくれて、靴屋での働き方を知っていた人には「こういうことでもない限り、辞められなかったっしょ笑」と言われる。
すべてのことには意味があるとは言わないけど、意図せずやるしかない状況に立たされた。
これぞまさに環境活用✨笑
追い込まれたら動くしか道は広がらない。
まずは手始めに家にある通帳をひっくり返してみる。自己資金の確認。
それから、思い描いていたものを文字にしてみる。
「業務提案書」の作成がここからはじまる。
独立すると決めると、自然と色々教えてくれたりアドバイスくれる人出て来る。
「独立」
勢いでそうなってしまったけど、やっぱり不安の方が大きい。
その「不安」を打ち消すかのごとく本を読み、話を聞き、ネットで調べて…という日々が始まる。
廃墟物件には原状復旧工事が入ることになり、少しずつ綺麗になる空間を横目にさらに追い込まれていく。笑
食堂をやりたいと、出会った頃から言っているやつがそこに居て、先輩との靴屋としての夢も叶えたい。
ということで、飲食とフットウェアのお店をしようと思った。
靴屋さんで知り合った方々には面白そうだねと言ってくれる人もいたけど、だいたいの人に心配されたし、飲食と靴?!勝算は…?!とか厳しいことも言われた。
その度に業務提案書に向き合って、フットウェアの展開の仕方を考えて。
そうこうしているうちに原状復旧終わり、商売のできる空間が手に入る。
10月のオープンを目指して本格的に動き出す。
自己資金の範囲で内装工事をしてもらったり機材を買ったりしながら、お金を借りるための業務提案書を仕上げる。
日本政策金融公庫に行ったら「飲食ですよね?」「靴ですよね?」と怪しがられ、「靴屋だけなら」と渋られて…
お金ってなかなか借りられないんだね…。
結局最終的に貸せますとなるまで約2ヶ月かかり、申請した金額の全額は借りられずまた作戦を練り直す。
区の制度を使って、信用金庫を紹介してもらう。
そこでの面接はほぼ野球の話で終わって、なんなら希望額よりも多めに貸し出せますよってなって、野球の力で運転資金難民を脱することになる。
やっぱり野球は世界を救うっぽい。
そんなこんなでドタバタしながら、当初の予定より1ヶ月遅れてお店をOPENする。
ニートからオーナーへ。
新しい航海がはじまる🚣♂️🚣♂️
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