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愛してくれて、ありがとう。

「犬を飼った。
愛される子供が、
愛することを知った。」

この本で1番、僕に想像させる
キャッチコピーの一つだ。

我が家には犬が住んでいる。
ポメラニアンのたつろう(二歳)だ。



僕と彼女にこれでもかというほど、
たつろうは愛されている。

我が家ではたつろうを愛するあまり、
大型犬サイズのハウスを使用している。
ゴールデンレトリバーが使っても
まだ余りそうなハウスなので
ポメラニアンにはデカすぎる。

だが、半分以上使っていないハウスに
嬉しそうに帰っていくたつろうの
フリフリした尻尾を見ると
「まあ、いいか」と顔合わせて微笑んでしまう。


同棲している彼女は、実家でパグを飼っていたけど
僕はたつろうが初めてのペットだった。

ペットは「可愛い」だけじゃ無い。
普段の世話に中々余裕がない瞬間の方が多かった。

あれはたつろうがうちに来て
まだ3ヶ月たったくらいのことだ。
たつろうは僕の膝の上でくつろいでいた。

するとガジガジという音を立ててあっという間に
僕のズボンのポッケを壊してしまった。

そのズボンは僕が上京する前に母が誕生日に
買ってくれた大切な思い出の品だったから、
僕はつい怒ってしまった。

たつろうは僕の膝から飛び降りて
ハウスに隠れてしまった。

すぐに声を荒げてしまったことを反省して
たつろうの様子を見るとハウスの陰からちょっとだけ顔を出してこちらの様子を伺っていた。

「もう怒ってないよ」と笑顔で伝えると、
可愛い笑顔で近寄って僕の手をペロペロと舐めた。

「ごめんね」のつもりなのだろうか。。。

たつろうは定期的に物を壊してしまったり、
明らかにわざとイタズラをしてくるのだが、
こちらの様子を少し伺って怒ってないことがわかると笑顔で近寄ってきてまた指先をペロペロと舐めるのだ。

最初はたつろうが
イタズラをするたびに怒ってばかりいた。


「可愛い」より「世話が大変」という
慣れない毎日に
僕自身、慢性的に苛立っていたのかもしれない。

だが、たつろうは僕が何度叱っても、僕に笑顔を
向けない日は無かった。

たつろうと僕との間に、
絆というか、これを愛というのか、

言葉には出来ないけど
確かに繋がりのような物を感じる日々が
少しずつ始まりつつあった。



ある日の深夜、たつろうの体調が悪くなり
なりふり構わず深夜の動物病院に走った。

一歩も止まらずに走り続けた。

僕は学生時代からクラスで一番に体力が無くて
シャトルランも最初に走るのをやめるような生徒だった。

たつろうを抱きながら病院に走る疾走の中、
「こんなに早く走れたんだ」と知らない自分に出会った。

診断の結果、たつろうの体に
問題は見つから無かった。


帰り道のタクシーだけが走る道路を
たつろうと歩いている時、
僕はたつろうを愛していることを自覚した。

そういえば、彼女と大喧嘩をして
別れ話にまで発展したとき、

彼女は僕と別れるという
話し合いの時には泣かなかったのに、

いよいよ別れるかもしれないというタイミングで、
突然「別れたらたつろうと会えなくなっちゃう〜」と大泣きした。

もし、「この時の僕の気持ちを述べよ」という
入試問題があれば
全ての回答者は涙を流すことになるだろう。

だがこの発言の後、僕と彼女は目を合わせて
つい吹き出してしまった。
またしても、たつろうに救われた瞬間だったのだ。

愛、それは育てる物だと思う。

0から1までは理解する時間でそれ以降は
お互いの気持ちを
すり合わせながら大きくしていくもの。

世話が焼けるし、妙にハウスが大きいこの犬に
そっぽを向いたこともあった。
だけど、たつろうは一度もそっぽを向かず
僕が機嫌を直すのを笑顔で待ってくれていた。

こうして文章に書いてみると分かる。

なんだ、愛を教えてもらっていたのは、
愛されていたのは、僕の方だったんだな。

愛するということを教えてくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう。

僕よりも僕を愛してくれる君へ。愛を込めて。


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