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 このnoteは私が生前の祖母から聞いた話を書き留める目的で記されています。  執筆、公開の順序と時系列は一致しません。  祖母の話はあくまで口伝、オーラルヒストリーと言うやつです。祖母は自分の記憶と印象を率直に語ってくれました。ましてそれを伝え聞いた私が祖母の没後何年も経て記憶を頼りに執筆するのですから、当時の実際の日付や気象条件、歴史のあらましとは異なる箇所も多いと思いますが、ご了承ください。  分野としては、戦争にまつわる話がメインになると思われます。  祖母は8月に

    • 空襲

       戦時中、祖母は東京に居ました。築地の寮に住み、月島で働いていました。仕事のある日は渡し船で行こうか、橋を渡っていこうか、その日の気分で決めるのんびりとした様子を語り、築地の渡し舟を懐かしく振り返っていました。くだんの大空襲で焼け野原になった後、実家のある山梨へ引き揚げています。そう、祖母は空襲直下の東京に居たのです。  当時の人の話として、よく空襲警報やB-29の話が出てきます。しかし祖母は空襲やB-29の話はほとんどしませんでした。  祖母が語る数少ない空襲の話も、消防訓

      • 千人針と甘いもの

         祖母が戦争体験を語るとき、食べ物にはあまり苦労しなかったと振り返ります。あまりに苦労が無かったので、他の人は大変だったみたいだけど、と申し訳なさそうにすることもありました。  ここで戦時中の祖母の所在に触れますと、祖母は月島の会社に勤めていたそうです。最初は給食課のようなところで職員の配膳など、とにかく食べ物に関する仕事だったとか。食べ物に関する職場ですから、なるほど食べ物は手に入れやすかったわけですね……どうやって? 祖母は「自分はやらなかったけど」と前置きした上で、当

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