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ラジオDJ 1年目物語

どうも、謎のDJくんだよ。

いつもはラジオDJを目指すみんなに、先生てきな立場であーだこーだ言ってるけど今回はラジオDJになりたてだった謎のDJくんのお話だよ。
ラジオの世界だけでなく、いわゆる「夢を追ってる人」になりたいと考えているみんなの励ましになればいいな。

僕のラジオDJとしてのスタートはコミュニティFMだった。
ラジオ局のイメージってみんなはどんな感じ?
大きなオフィスがあって、いろんな社員の人が慌ただしく動いていて、
スタジオはたくさん並んでて、こっちでも若いADが走り回ってる…
そんな局を想像しながら、門を叩いたコミュニティFM。
行ってみるとびっくり!!

まず建物がプレハブ小屋。広さも「さっき駅前で見かけた不動産屋さんの方が広かったですよ!?」なサイズ。
そして社員が5人。あれ~、これだけしかいらっしゃらないんですか…?

喋ってるDJの人たちも、近所に住んでいるおばさん。
イベントやブライダルの司会をしているお姉さん。
むかーし、1度大きい局でラジオのDJをしたことがあるけど、何をしているのかわからないおじさん、などなど。
みんなラジオのDJでお金を稼いで生活しているプロかと思ってたけど、全然ちがったんだ。
正直、スキル的に喋る仕事でお金を稼ぐのは厳しい人たちばっかり。
(もちろん、他に仕事があって、趣味としてラジオを続けてる人が大半だけどね)
でも、そんな中でも断トツで下手くそだったのが1年目の謎のDJくんだったんだ!
基本的なスキルは0!経験も0!声も褒められない!
若いからというだけで気に入られていれてもらっただけの1年目。

周りはおじさんおばさんばかりで自分のスキルをあげようとか、
もっと大きい局にいってやろうとか、そんな向上心のある人は誰もいなかった。楽しくやろうよ、あははは~な雰囲気だったね。
「思った世界とちがうなぁ。もっとプロフェッショナルが切磋琢磨する世界だと想像してんだけどなぁ」なんて感じていた。
でも謎のDJくんはひたすら練習した。誰よりも練習した(はず)。
業務が終わると使ってないスタジオを占拠して、ひたすら原稿読みの練習を。
当時の僕を例えるなら、
お年寄りがちょいとした山のハイキングコースをワイワイ楽しんでいる。健康のため、日々のストレス発散のため。
そんな中で「俺はプロの登山家になるんだ!!」って叫びながらダッシュでボンベを背負って駆け登るって感じだったかな。
今思うと、むしろそんなところで頑張ってる僕の方が場違いだったかもしれないね。
優秀なコーチもいないし、みんなはワイワイしている環境の中で一人で頑張った。というか頑張れた。
すべては「ここから出たい!ラジオ山の頂上の世界が見たい!」という情熱があったんだ。
そりゃ当時は大きい局の有名DJたちと戦うことしか考えていなかった。
「僕はもっと大きなところに行きたいんですよ!」
一番下手くそな熱い若者に対して、おじさんおばさんたちはニコニコしながら「お、頑張って売れてくれよ~」と息子を見るように言ってくれた。みんないい人たちばかりだった。(向上心はなかったけど)


お金の面だって厳しかったよ。スタジオにいるときは時給1000円。
局に向かう途中、駅のポスターに朝のラッシュの時間帯にホームで人を電車に押し込めるバイトを募集しているのを見たんだ。それが自給「1080円」。
金額で優劣がつくわけではないし、人を電車に押し込めるバイトを下に見ているわけではもちろんないけど、
コミュニティFMだったとしてもラジオで喋るってことを「限られた人間にしかできない仕事」と考えていたから、ちょっとショックだったね。
その他リポーターとして、取材のリサーチ、アポ取り、取材、編集、納品、、、
これだけを全部1人でやって1回2500円。
そして社会人1年目の年収が60万円だったのを今でもおぼえているね。
みんなは年収60万円って数字を見てどう思う?絶望する?高校生のバイトだってもっと稼いでいる子は多いよね。
でも、僕はその60万円がなぜかうれしかったんだ。
「プロになれた!自分で稼いだ!」という実感が何よりもあるお金だったし、60万円分のプライドだったんだよ。
そしてそのプライドが「いつかはここから卒業して、ラジオ山の頂上にいくんだ」というパワーにつながっていったね。


でも情熱にあふれてエナジーあふれてる若者モードの時ばかりではなく、自分の将来について不安を感じて震えることももちろんあったよ。
なによりきついのが高校や大学の仲間たちが一般的な社会人1年目を迎えていることだった…。
「今はこんなことしてて~」「あいつは初任給いくららしい~」「仕事が結構きつくてさ~」。
こんなフレーズが聞こえてくると、自分が選んだ登山道が合ってたのか不安になってくるんだ。
そして、軌道に乗ってないときに一番言われたくない言葉が

『お前って今、何してるの?』

これだった。
僕はたまたま友人たちに恵まれたため、「お前まだそんなことしてるのかよ~」みたいに否定されたことはなかった。みんな「へ~ラジオってすごいじゃん」って言ってくれた。本当にありがたい。
でも自分の中では全く胸を張ってラジオDJを名乗ることができなかったよ。
だってコミュニティFMだし、、だって年収60万だし、、ラジオ山なんか登るんじゃなかったかなぁ、、


でも、若いって素晴らしい。
結局は「いつかは絶対、大きなところにいくんだ。ここから抜け出すんだ」というパワーが毎回不安を上回った。
顎を上げて一生懸命登ってたから、目の前の状況よりもその先の頂上をずっと見ていられたんだと思う。
局でも家でもコツコツと他の人よりも練習したら、少しずつ技術がついてきて、
一番下手くそだった謎のDJくんもあっという間に、周りのおじさんおばさんからアドバイスを仰がれる存在になれた。
あの目を輝かせて、どんな状況でもただひたすらに練習した自分には今でも感謝してる。
20代前半という何かをスタートしたての時期というのは、失うものもないから先のゴールをずっと視界にいれて登れるところが素晴らしい。
これが30代ともなると話は違ってくるけどね。
「全然稼げない」「思ってたのと違う」そういって不満をこぼして登るペースが落ちたり、「もっと楽なほうへ」と目先の選択肢のみで当初のルートからはずれてしまったり…
そういって失速していったり、行方がわからなくなった先輩たちもたくさんいたんだ…!ラジオ山は遭難者が多いんだ…!
でも、それもそれで彼らは現実的な幸せを見つけて、今では楽しくやっているかもしれないから否定はしちゃだめだね。

夢があってこれから何かの頂上に登りたい!もしくは登ってる最中という人は、今は目先のことよりも山の頂上をひたすら目指した方がいいと思う。
険しくて全然進まなくても!隣の山のお友達はどんどん高みに近づいていたとしても!目の前にわりと楽そうな道がふと現れたとしても!
とにかく頂上を目指して登り続けてほしいし、それができるのがルーキー時代だけなんだ。

結局、謎のDJくんがコミュニティFMという山から卒業するのは、その4年後であった…。
そして目標であったラジオ山では別の種類の苦労をするのであった…。
しかし、それはまた別のお話。

今回は自分の1年目を振り返ってみたけど、
みんなが思ってたラジオDJのデビューとはちょっと違うストーリーだったと思う。まぁこれも一つのラジオのお話だよ。
ラジオの世界ってどう?登れそう?やめておく?
もしも目指している子がこの文章を読んで一つでも何かを感じてくれたらうれしいな。

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