大学と専門の二刀流①

さてさてさーて。
前回の日報れでぃお(僕のnoteの名前です)で
【出身大学、専門校】と書きました。
まぁ、少し変わった経歴なんですけれども、
なぜ大学卒業したあとに専門校に入ったのか。
そしてなぜ映像クリエイターになろうと思ったのか
その経緯について
・大学生時代編
・大学から専門校に至るまで編
・専門校時代編

と分けてお話しようと思います。
長いお話しになりますがどうかお付き合いくださいませ。

【大学生時代編】

大学時代は長いので現在に至るまでの要点を掻い摘んでお話しします。
まず大学は4年でしっかり卒業しています(笑)
前回の自己紹介では触れませんでしたが、なんだかんだ剣道を16年(コロナ禍を含む)続けていました。
大学では体育会の部活に所属していたのもあって、
周りはみんなレベル高かったですね。
大学1.2年ぐらいまで警察官を目指していたんですけど、
ふとした瞬間に「あ、性格的に合わないな」と思うようになりました。
この「性格的に合わないな」は人に厳しくできないというのが大きいです。
と、いろいろあって警察官になりたいという選択肢を捨ててから
「この先どうしよう」「普通の企業に就職してやりたくない仕事を何年・何十年続けて、それでいいものなのか」という気持ちが強くなりました。
もちろんその会社に入って成し遂げたいことがあれば就職する意味はあるとは思います。
けど、当時の僕にはあまりにもそのイメージが湧きませんでした。

そんな中コロナが世界的に流行しわかりやすいくらい時代が変わりました。
大学3年の後半から4年あたりで暇な時間、将来のことを考える時間が膨大に増えた時にふいに「またYouTubeやりたいな」と思うようになりました。

中学生のころはじめしゃちょーさん、東海オンエアさんやすしらーめんりくさんなどにどハマりしてて自分もやってみたい!とYouTubeをやっていました。
ひどいもので、撮影場所は自分の部屋のベットの上。抜けのテレビが映りっぱなし。企画内容なんてものはなくただ喋るだけ。
周りにはイジられまくってやめてしまいました笑
この確定黒歴史を今でも続けていたらワンチャントップYouTuberになっていたかもしれないですね()
ということがあったのと、コロナ禍になってから「新世代YouTuber」やら「TikToker」が大流行りし始めたのがきっかけでした。
ただ、僕はむやみに人に絡むタイプの企画が好きじゃなかったし、自分のスタイルではないと思い、ジャンルに悩みました。
そして決めたジャンルが「ラジオ」でした。
なぜラジオにしたかというと、坂道アイドルと芸人さんのラジオを聴きまくってた時期があって、「耳で楽しむエンターテイメントっていいな」と思い、そのジャンルを選びました。
そしてこれもよく聞かれたのですが「他にも配信媒体はあるのになぜYouTube?」
これには理由がいくつかあります。
1.YouTubeでラジオをメインでやってる人がいない(れでぃお調べ)からパイオニアになれるんじゃね?
2.オンエア中のあのわちゃわちゃした空気を動画としても見れためっちゃいいやん!
3.世間の認知度的にもYouTubeの方が圧倒的に立ち回りやすかった。
4.当時コラボが死ぬほど多かったから仮にそれなりに人気がでたらコラボでさらに登録者増えるんじゃね?
5.昔のYouTubeと違って聞き流す人が増えてたからラジオとの相性良さそう
6.(2と近いですが)耳で楽しむエンターテインメントを目でも見れるのってロマンある!
7.様々な職業や業種の人とお話しして僕が知らない世界を知りたい。
など、大きな理由としてはこれらが挙げられます。

大学生時代は散々血迷い、それでも思うがままに行動していました。
そして僕が本格的にやりたいことだけで生きていきたいと強く願い、叶えたいと思ったとある出来事がありました。
それは次回の大学から専門校に至るまで編でお話しします。

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