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妻と僕のPMDD生活2日目


理由は後付けで良い。
自分がどうするか、どうしたいか。

*

映画きっかけで知りましたが、
ハイウェイ/くるり
の曲は強い共感を覚える。


僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって。
1つ目はここじゃどうも息が詰まりそうになった。
2つ目は今宵の月が僕を誘っていること。
3つ目は車の免許とってもいいかな
なんて思っていること。

僕も元総長でPMDD妻と一緒にいる理由は、
こじ付けかも知れないけれど、
だいたい百個くらいある気がする。

どれも小さいカケラのような
理由だとは思うけれど。。。

*

今思えば交際は成り行きだった。

「カタチはさておき、一生いる気がする」

初めて妻を見た時、生まれて初めてこんなインスピレーションが働いた。その旨を妻に伝え、緩やかに交際がスタートした。
情熱的な愛の言葉から生まれたカップルではなく、「明日も喫茶店でお茶しませんか?」くらいの特別感のないフランクな付き合い始め。

と言うのも僕は愛が信じられない。
愛というより異性が少し恐かった。
愛が憎悪に変わる瞬間を何度も経験したから。
時にはストーカー被害に遭い、
時には「変だ」と罵られ、
時には裏切られ、
時には死んでしまった。

僕が愛を捨てた時、
そこには妻が居た。

妻は妻でPMDDという病気を抱え、
人との距離感を測っている人だった。
その距離感が僕には凄く心地良かった。

これが僕の思う1つ目の理由。

そういった小さなカケラを集めれば、
だいたい百個くらいにはなるだろう。
ただそう言った理由よりも、
感覚的な「ずっと居る気がする」
を大切にしているように思える。

理由なんて後付けで良い、
自分が何を大切にしているのかが大事。
そこに「愛している」と言う理由がなくても。

熱を帯びた関係を「愛」と呼ぶのであれば、
きっと僕たち夫婦は「愛」に向いていない。
ハタから見れば、いびつだとは思う。
でも、僕が何を大切にしたいか。
そこを基準に考えた時、
失敗ばかりだった僕が知らせた
最初で最後の感覚だった。
妻も今は感覚を信じてくれている。


ハイウェイの最後あたりのフレーズも、
「僕には旅に出る理由なんて何ひとつない」
として締めています。

行動に理由は無い方が良い。
全て言い訳がましくなるから。

ハイウェイは僕に、
そう言ってるような気がします。

メガッパ

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