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【祈りの文化】初めて誰かをお祈りした日のこと

「ねぇねぇ、いちちゃん。私、いちちゃんにお祈りして欲しいことがあるの。」

「ひとつは、幸せでありますように。
そして、もうひとつは、その幸せを感じられる人でありますように。ねぇ、お祈りしてくれる?」

そんな風に、誰かにお願いされたのは人生で初めてだった。でも、真剣な眼差しで私を見つめる彼女の瞳は、満天の夜空の下、綺麗に輝いていて、あぁ私も今まで、幾度となくこうやってお祈りしてきてもらったんだなぁ、と思った。

クリスチャンの文化に、お祈り、がある。
辛いとき、苦しいとき、励まされるとき、人々が「頑張って!」と誰かに声をかけるのと同様に、ごく自然と、クリスチャンの人たちは、「お祈りしても良いですか?」と聞いてくれるのだ。

最初は、そのお祈り自体に戸惑いもあった。
恥ずかしさもあった。

でも、祈ってもらう、その行為自体が私達の生活に根付いていないだけで、誰かが自分のために、一生懸命お祈りしてくれているという事実は、私の疲れた心やクタクタになった気持ちを、自然と何度も癒してくれたのだった。

お祈りしてくれますか?
に対する答えは、もちろん、イエスだ。

彼女の背中を抱えながら、何度も祈った。

彼女が幸せでありますように。
恵深き幸福に溢れますように。
そしてどうかその幸せが、彼女の元に降り立ったとき、その幸せに対して素直に、ありがとう、と応えることができますように。

拙い言葉だったかもしれないけれど、気持ちはひとつだった。
お祈りしたい。彼女のために、祈りたい。

か細いその背中から、少し伝わる温度に、今側に入れる幸せをめいいっぱい感じた。

ありがとう、神様。
彼女に、出会わせてくれてありがとう。
わたしを、この場所に呼んでくれて、
ひとりぼっちじゃないことを教えてくれて、
ありがとう。

そんなことも、同時に思った。
金谷を離れて、きっと一番寂しい時期に、彼女が側にいてくれたという事実だけで、わたしはどれだけ救われたのだろう。

想いが溢れて、彼女を見た。

「ありがとう。」とわたしを見る彼女は泣いていた。

わたしは、背中をさすってあげることしかできなかったけれど、神様にお祈りしたから、委ねたから、きっと、大丈夫だよ、と思った。

自分の一番大切な人たちが悩んだり苦しんだりしているとき、素直に「祈ってもいいですか?」と聞ける勇気がこれからは欲しいな。
自然と、言葉にできるようになりたい。

わたしの大切な人たちが、わたしの幸せをきっと祈ってくれている。

あなたを想って祈っています、それだけでも、
きっと、わたしは何倍も救われているから。

祈りの文化は、もっと、世間一般的に広がってくれたらいいのにな。
誰かが誰かを思って、祈る。それだけでもきっと、救われる人たちがいるかもしれないと、そんなことを思った夜。

#平成最後の夏

あなたの、祈りたい人は誰ですか?

あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。