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「まゆゆ」こと渡辺麻友さんのお話

 2020年6月1日。「まゆゆ」こと渡辺麻友さんが芸能界からの引退を発表しました。ここ最近はあまり表立った活動が無く、昨年末からSNSの更新も止まっていたので、何が原因かはわからないにせよ何かがあまり良くない状況なんだろうなというのは感じており心配していましたが、最終的にこのような形となりました。

 私が「まゆゆ」の名前を初めて知ったのはAKB48のことを好きになる少し前、「神曲たち」や「ポニーテールとシュシュ」よりもちょっと前の頃のことでした。何がきっかけかは覚えていませんが、中学の同じクラスの野球部の同級生が話をしていたような気がします。正にAKB48ブレイク前夜の出来事です。そんな私がAKBに興味を持ち、MVやテレビ番組を見るようになって5番目くらいに顔と名前が一致したのが渡辺麻友さんでした。当時の渡辺麻友さんは基本的にどのメディアにおいてもハーフツインにカッチリと決まった前髪というルックスで登場しており、まだAKB48のことやアイドルのことについてよく知らない自分にとって、良くも悪くも正に「アイドル」といった感じでした。「やっぱアイドルグループってこういう感じのメンバーが居るんだな」みたいな印象を持った記憶があります。

2010年AKB48プロフィール_渡辺麻友_2

 ただこのいかにも「アイドル」といった彼女の存在は当時の「新規」だった我々にとって、とても大きな存在でした。彼女のような絵に描いたような「王道アイドル」がグループに居るからこそ、当時の「神7」を始めとした周りのメンバーの個性がより際立って見えました。「俺はAKBは好きだけどともちん推しだから“オタク”ではない」「AKBが好きなんじゃなくて麻里子様好きなだけ」みたいなことを言っている人は当時自分の周辺含め沢山居ましたが、彼らにこの発言をさせ、AKB48のファンをすることに大しての抵抗を無くしたのは「アイドルサイボーグ」とまで言われる彼女の存在が同じAKB48の中にあったからこそでしょう。また、その反対に彼女の圧倒的なアイドル力に興味を持ったことをきっかけにAKB48のファンになった人も沢山居ます。このように、彼女の王道アイドルとしての圧倒的な存在感がAKB48のブレイクに大きく影響したことは言うまでもありません。

 かくいう私ですが、そんな渡辺麻友さんについて、AKB48のファンになった初期(2010年)から2012年頃までは、当時の推しメンの柏木由紀さんとは同じチームBで仲が良いメンバーで親子のような関係という以上の印象は特に抱いていませんでした。AKB48というグループにおいても、「神7」の中の王道アイドル担当といった印象が強かったように感じます。しかし、2012年の3月に当時の絶対的エースである前田敦子さんが卒業を発表して以降、潮目が変わりました。前田敦子さんが参加を辞退した2012年の総選挙において、1位の大島優子さんに次ぎ、前年3位だった同期の柏木由紀さんを抑え2位にランクインしました。このときの段上のスピーチにおいて「これからは私たちのような若い世代が新しい時代を切り開かなくてはいけません」「来年また総選挙があれば、私は1位を取りたいです」と語りました。当時の絶対的エースで1期生の前田敦子さんは21歳、3期生の渡辺麻友さんは2つ下の19歳ということで、この時に初めてAKB48において「世代交代」を意識させられ、その中心人物が渡辺麻友さんなんだということを実感しました。またこの頃からメディアに登場するときに“例の髪型”でないことも増え、彼女が神7の王道アイドル担当からグループを担う新エースになるんだなという印象を受けました。この年の東京ドームコンサートでは初日に2009年以来の組閣が行われ、渡辺麻友さんはデビュー以来長年在籍したチームBからフラグシップチームでもあるチームAへ異動することが発表されました。終演後の舞台裏で、同期で長年同じチームBで母のような存在とも言っていた柏木由紀さんに抱きしめられながら「麻友ちゃんはこれからAKBを引っ張っていく存在なんだから」と言われていたのが強く印象に残っています。

 翌2013年の総選挙において、かつて同じチームBで活動し、後輩でもあり、前年には例のスキャンダルもあった指原莉乃さんが1位となりました。一方、渡辺麻友さんは3位という結果となりました。この年の段上のスピーチで「私はどのメンバーよりも自分自身をAKB48に捧げてきた自信がある」と語っていたのが印象的で、以後の総選挙において毎年目玉として扱われる「王道の渡辺麻友vs邪道の指原莉乃」という構図はこの瞬間から始まったのだと認識しています。

 翌年の総選挙もほぼ同じ構図で始まり、投票開始の翌日に行われる速報発表において、1位が指原莉乃さんで2位に渡辺麻友さんの名前が呼ばれました。しかし、その数日後に岩手県の全国握手会において握手会襲撃事件が発生し、AKB48グループ全体に対して暗い影を落としました。そんな状況下で開催された味の素スタジアムにおける開票イベントも異様な空気が流れていたのを覚えています。梅雨空の下、雨が降り頻る会場は入場時から厳戒態勢が敷かれていました。そのような中で開票が行われた2014年の総選挙は、前年1位の指原莉乃さんを下し渡辺麻友さんが初の栄冠に輝きました。名前が呼ばれた時には会場からまゆゆコールが起こり、段上のスピーチにおいて彼女は「AKB48グループは私が守ります」と宣言しました。悲しい事件が起こった直後に起こった“「王道」の渡辺麻友が1位になった”というこの出来事には胸が熱くなりましたし、その場に居る多くの人間が同じ様に感じたのではないかと思います。悲惨な事件が起こった年の総選挙でこのような結果となったのは、阪神淡路大震災の年にプロ野球のオリックスが優勝したことや東日本大震災の年になでしこJAPANがワールドカップで優勝したことと似たような、暗い事が起こって元気を失ったAKB48グループに対して渡辺麻友さんが希望の光となった出来事だったという印象が強く残っています。

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 それ以降も、「王道の渡辺麻友vs邪道の指原莉乃」という構図の総選挙は指原莉乃さんが最後の総選挙を公言する2017年まで毎年続き、最終的に指原莉乃さんが2015~17年において3連覇を達成します。その2017年の総選挙において渡辺麻友さんがAKB48からの卒業を発表しました。結果的に「王道の渡辺麻友vs邪道の指原莉乃」の構図の総選挙は王道の1勝3敗という形で幕を閉じました。邪道が王道に勝ち越せないのは「何でもアリのAKB」を象徴する出来事のように映ります。しかしながら、この「何でもアリのAKB」が崩れ落ちずに成立し続けていたのは渡辺麻友さんがAKB48において「王道」を担い、グループの根底で有り続けていてくれたお陰です。大人数のメンバーがそれぞれ様々なことをし、その中にある「アイドルらしからぬ言動」等が話題になるのはあくまで「アイドル」としての「軸」がグループにあるからであり、グループとしての「アイドル」の「軸」はこの間ずっと常に渡辺麻友さんが担ってくれていました。この年の総選挙シングルである「#好きなんだ」のMVや楽曲や衣装も「王道」を最後まで貫いた彼女へのプレゼントであり、労いのメッセージでもあると思っています。

 AKB48のファンだけでなくグループそのものも「まゆゆ」に対して彼女が幼い頃から「王道」を求め続け、最終的にAKB48のアイドルグループとしての最後の砦までもを担わせていたように感じます。また、私もその中の一人でした。最初に挙げたように彼女の存在によってAKB48に興味を持ちファンになった人は沢山居るでしょう。ストイックな彼女はそういった需要に応え続けながらAKB48人生を駆け抜け、「神7」の中の一つのキャラという枠組の中だけに留まらず、最終的にグループの矜持そのものを背負ってくれました。逆に言うと我々ファンやAKB48というグループが背負わせてしまったとも言えると思います。そのような大きく重い物を長年背負ってきた彼女だからこそ、私は彼女を心からリスペクトすると共に、AKB48を卒業した後は何にも囚われずに彼女の思うように自分自身が満足できる芸能活動を行って欲しいと思っていましたし、陰ながら応援していました。

 彼女がどういった経緯で芸能界を引退するという選択肢を選んだのかは誰にもわかりませんし、誰も知る必要があることが無いと思います。これからの第二の人生を幸せに送って欲しいと願うことが一人のAKB48のファンとしてできるただ一つのことです。最近のAKB48が「分かっている」グループになってきているということは以前の投稿に書きましたが、この「分かっている」の基準そのものが、彼女が嘗ての総選挙でのスピーチで語ったように人生をかけてAKB48に残してくれたものです。「まゆゆ」が居てくれたから現在のAKB48のメンバーとファンがアイドルとしての「正しさ」が何かを理解し、それ道標としてグループにとって「あるべき姿」を描くことができているということを噛み締めながら、改めて彼女に感謝と尊敬の念を抱き、この雑文を終わりにしたいと思います。

みんなの夢が叶いますように

無題

渡辺麻友さん
ありがとうございました
お疲れ様でした
お元気で

2020年6月2日

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