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第35回桜花賞(1975年) [競馬ヒストリー研究(39)]

記憶に新しい昨年の桜花賞を制したのは純白のアイドルホース・ソダシ。世界初となる白毛馬によるクラシック制覇という偉業や、春の陽光を全身に浴び、光り輝く真っ白な馬体の美しさには誰もが目を惹かれたことであろう。

だが、それらと同じくらい度肝を抜いたのは、ハイペースを堂々と好位3番手で追走し、直線も脚色が衰えることなく1分31秒1のレコードで駆け抜けた同馬のスピード能力であった。そして、桜花賞で類まれなスピードを見せつけた馬と言えば、我々よりもっと上の世代にとってはこの馬の名前が上がるのではないだろうか。1975年の優勝馬テスコガビーである。

 

同じ時代に走った多くの活躍馬とも共通する「テスコ」という名を持つことからも分かるように、テスコガビーの父は70年代を代表する大種牡馬テスコボーイ。テスコガビーは4世代目の産駒に当たり、同馬が生まれた約1か月後に初年度産駒のランドプリンスが皐月賞を制している。

東京競馬場の仲住芳雄厩舎に入厩し1974年の9月にデビューしたテスコガビー。東京競馬場に当時設定されていた右回りの芝1200mで行われたそのデビュー戦を7馬身差で圧勝し、重賞初制覇を飾った京成杯3歳Sまで3戦3勝の成績で3歳シーズンを終え、現在のJRA賞の前身に当たる優駿賞最優秀3歳牝馬も受賞した。

年が明けて4歳となったテスコガビーは牡馬の有力馬とも対戦。京成杯では朝日杯3歳S2着のイシノマサルを下し、続く東京4歳Sでは自身と同じく菅原泰夫が手綱を取っていたカブラヤオー(菅原の弟弟子菅野澄男が騎乗)とクビ差の接戦を演じ、性別を問わず世代屈指の実力をアピールする。

 

春を迎え桜花賞に向けて西下し、トライアルの阪神4歳牝馬特別をレコード勝ち。牝馬同士では相手になる馬はおらず、本番の桜花賞では単勝オッズ1.4倍の圧倒的な支持を受けた。トライアルに出走していない未対戦の関西馬が人気では続くも、福永洋一が騎乗した2番人気のトウフクサカエが18.9倍、3番人気のタニノサイアスで39.8倍と大きく離れた。

好スタートを決めてあっという間にハナを奪ったテスコガビー。そのままいつものように快調に飛ばしていく形となり、3コーナーに入る頃にはついてきた2番手以下が脱落し始め、早くも一人旅となる。

関西テレビ・杉本清アナはこの局面を「充分貯金をため込んで」と実況しているが、ラップタイムを見ても [12.3-11.3-11.4-11.2-12.2-12.3-12.8-11.4] と、コーナー部分で1秒程緩んでおり、自身がペースアップしているわけではないにも関わらず後続との差が開き、完全に独走状態となって直線を向いた。

当然その後はため込んだ貯金を放ち他の21頭を突き放す一方。杉本アナの「後ろからはなーんにも来ない」というフレーズは今でも有名であるが、同氏によると、これはゴールまで200m程を残してあまりにも差が開いたために言うことがなくなってしまい、苦し紛れに出た言葉であったという。

後ろでは8番人気のジョーケンプトンがただ1頭馬群を抜け出して2番手に上がるも、遥か先を走るテスコガビーは同馬より1.7秒先にゴール板を駆け抜けていた。

勝ち時計の1分34秒9はステークスレコード。それまでの記録は1973年にニットウチドリが記録した1分35秒4であったが、1分35秒台すらこの1例のみで、その次に速い勝ちタイムが1969年のヒデコトブキによる1分36秒6であることを考えると、如何に傑出した速さであったかが分かる。

 

桜花賞で極限の走りをしたこともあってその後は調子を落とし、オークストライアルのサンスポ賞4歳牝馬特別では3着に敗れるも、オークス本番では距離の壁も難なく越え8馬身差で勝利し、二冠を達成した。

自身と同じくスピード自慢揃いであるテスコボーイ産駒の中でも特に速さに秀でた一頭であり、その完璧なレースぶりを「テンよし中よし終いよし」とも評された稀代のスピード馬テスコガビー。桜花賞の歴史は速さの歴史でもある。阪神競馬場の桜並木は今年も最も速きヒロインの誕生を祝福してくれることだろう。


オークスも見据えるスケールの大きなタイプが揃っていますが、それだけに桜花賞はスピード型の馬に注目したいです。

フィリーズレビューの勝ちタイムはクラシックを迎える前の世代限定戦としては史上初めて1分20秒を切りました。特に接戦の1,2着を演じたサブライムアンセムとナムラクレアのスピード持続力は抜けていました。

チューリップ賞は差す競馬を試みたウォーターナビレラもこれまでの競馬に戻れば侮れません。ラブリイユアアイズも阪神JFでは馬場の悪い内目を通っての結果だけに上がり目を期待したいです。


それではー

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