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第8回根岸S(1994年) [競馬ヒストリー研究(29)]

東京競馬の開幕を告げる根岸S。レース名の「根岸」は横浜市中区の地名で、戦前まで同地に存在した根岸競馬場(横浜競馬場)を記念している。

横浜の居留外国人によって1866(慶応2)年に開設された根岸競馬場。現在の天皇賞の起源にあたるThe Mikado's VaseやThe Niicapu Stakes,The Emperor's Cupといった競走は同場で創設され、現在の皐月賞にあたる横浜農林省賞典四歳呼馬や、横浜特別などの特殊競走(現在で言う重賞競走)も施行されていた。

 

その根岸競馬場を記念して1987年に東京競馬場の重賞競走として創設された当レースを優勝した馬のうち、同場で活躍した馬を祖先にもつ数少ない内の1頭が1994年のフジノマッケンオー。

同馬の四代母父はハクリユウ。東京優駿大競走が創設される前年の1931年5月に根岸競馬場でデビューし、本格化を迎えた秋の根岸開催では当時全国各地で年10回施行されていた帝室御賞典に出走し2着、その次走で横浜特別を勝利した。

その後も次開催の東京で当時最高額の賞金を誇り、天皇賞の競走機能における前身と言える各内国産馬連合競走(秋)を勝利するなど一流の競走成績を収めた馬である。

そのハクリユウの血を引くフジノマッケンオーは3歳となった94年の春に同世代の怪物ナリタブライアンとクラシック競走で対戦。皐月賞3着、ダービー4着と健闘するも、その実力差は歴然としたものがあり、短距離路線へ矛先を向けた秋2戦目に2勝を挙げたダートへ戻ってオープン特別を快勝。続けて根岸Sへと駒を進めた。

 

当時の根岸Sは11月初頭にダート1200mで施行。ダート重賞体系の整備はまだ進んでおらず、芝から転戦してきた馬も数多く出走していた。

重賞未勝利の身ではあるものの、芝のGIで安定して入着している地力とダート3戦3勝の実績、5馬身差で勝利した前走の内容から同馬が1番人気に支持され、大半の相手に芝・ダートとも実績では上回っていると言えた。前年のフェブラリーH勝ち馬のメイショウホムラも出走していたものの、長期休養明けの前走3秒2の大差を付けて直接負かしていた。

レースは2番人気のヒシクレバーが勢い良くハナを切り、後続を離して逃げる展開。スタートは一息であった岡部幸雄騎乗のフジノマッケンオーも離されまいとすぐに盛り返して前を追いかける。

2番手集団まで取り付いて直線を向くと、坂の登りからじわじわと前との差を詰め、残り100mで逃げたヒシクレバーを交わし、そのまま押し切って1着。待望の重賞初勝利を飾った。

その後は中1週で出走したマイルチャンピオンシップで3着。5歳時には芝の重賞を2勝し、6歳で再びダート重賞のさきたま杯を制するなど、息の長い活躍を続けた。

 

他に根岸競馬場で活躍した馬の血を引く馬としては、9代母に同場の帝室御賞典を制したオーグメント(競走名アスベル)を持つセイクリムズンが2011年の当レースを優勝している。

目黒記念や鳴尾記念、関屋記念などかつて存在した競馬場の地名を冠する重賞競走は他にも施行されている。しかし、戦前に開催が止まってから当レースが創設されるまで45年もの空白期間があることや、ダートの短距離戦という競走条件だけに米国産馬や牝系の近い代に輸入馬を持つ血統の馬が多いことからも、彼らの優勝はそれらの競走における同様のケースより希少な例と言えるのではないだろうか。

根岸競馬場の遺構として今も保存され、近代化産業遺産に認定された一等馬見所と同様に、フジノマッケンオーらが記録した勝利もまた、古の競馬場を未来まで語り継ぐレガシーそのものである。


私は昨年から根岸競馬場の近所に住んでいるのですが、"ご当地レース"として初めて迎える今年の根岸Sは是非とも当てたいところです。
過去10年のうち四角の通過順が出走馬の半数より後ろだった馬が8回も勝っている日本有数の差し有利なレース。上3F34秒台の速い脚が求められます。
毎回終いは堅実なタガノビューティーは如何にも向きそう。東京コースで安定のスリーグランドやソリストサンダー、オメガレインボーあたりへ狙いたいです。

シルクロードSはジャンダルムにもう一度期待したいです。出遅れが響くもGI級の相手に小差まで差し込んだセントウルSだけ走れれば十分争覇圏内でしょう。展開に左右される追い込み馬ですが成績が安定してきたナランフレグも警戒したいです。

それではー

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