誰かとコミュニケーションを取りたいということ
ロンドンと東京におけるコミュニケーションの違いについて
半年間ロンドンに留学していた。
今思うと過剰なほど人とのコミュニケーションがあり、たまに疲弊していた。
自分一人の時間をくれーとなっていた。
フラットメイトの一人がいったのは、「英国社会はコミュニケーション社会だ」ということ。
人とコミュニケーションが取れなければ、レジで怪訝な顔をされるし、映画のチケットも受け取れない。
自分の部屋のドアを出たら、もうそこは公の空間なので、黙っていると居心地が悪かった。
英国はその性質により、結構な部分が自動化されていない。
例えば、チケットをオンライン予約したあと、所定の機械で受け取るのではなく、受付のおじさんがチケットの束を持っていて、"Hi, I'm here to collect my ticket." とかなんとか言えなければ映画も見れない。
ちょっと疲れたのでキッチンにジュースを取りに行くだけでも、仲間が激しい議論を大声でしており、それに巻き込まれることもあるし、とにかく喋れないと不利になる。夜中の2時までみんな喋っているし、その日に出会った外国人の友達と買い物に行くし、キッチンに行くと結構な確率で知らない人がおり、私はそれに怯えていたら何故か笑われたこともあった。
帰国したあと実家に一ヶ月間住んだ。恐ろしいほどコミュニケーションの無い空間である。
そのあと東京に越してきた。実家に比べればコミュニケーションはあるが、すごく建前的だ。人は皆自分自身のバブル(泡)の中におり、そこから出ようとはしないし、声をあまり出さないのが礼儀的な感じになっている。
ロンドンにいた頃はコミュニケーションに疲弊していたので、その建前と敬語がありがたかった。
しかし今はそれが恋しいような気もするが、辛かったことも多いので、この中間ぐらいのコミュニティがあればと思う。
それがきっと大学だったのだが、大学に構内に入ることは禁止されている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?