遮光カーテンの裏側で泣かないように
誰かが夜中に読んで少しだけ心が軽くなるものを書こうと思って数年が経ってしまった。
数年あると絶望的な暗雲が立ち込めていた人生にも淡く灯りが灯るもので、僕の人生もあの頃よりいくらかマシになった。
198円の大容量パスタを乾麺のまま齧らなくてよくなったし、急に道端の外国人に殴られることも毎日タウンワークを広げて面接に行っては54社連続で落とされるなんて社会不適合を強く感じる出来事も起きなくなった。
華美で豪華な生活は送れないけれど、それでも遮光カーテンの裏側で声をあげて泣くような24時間を繰り返さなくて済んでいる。
僕のnoteの読者であるみなさんはどうだろう。もしかしたら乾麺を齧って生活しているのかもしれないし、仕事が見つからない不安で首を吊ろうとしているかもしれないし、結婚式のお色直しの最中に婚約者に逃げられたかもしれない。
僕はそんな人生の瞬間に直面している人に死ぬなとか、元気出せよとかそういう言葉をかけられない。
たまにDMをくれていたXのフォロワーが何人か死んでしまったのはそういう言葉をかけられなかった僕のせいなのかもしれないのだと時々思ったりもするけれど、それは仕方がない。死ぬなとか元気出せとか、誰も救わない余計な文字列なのだ。
代わりにその経験や気持ちを文章にしてみたらどうかと提案している。誰かが自分の不幸で踊ってくれた時、その経験は数分の間、ついていない自分を救ってくれる。誰かがその気持ちに共感してくれた時、どこかに確かな理解者がいるのだと確信できる。そうやって暗闇の足元を照らしながら進んでいけば大雑把に歩いていても人生の光源へ近づいていく。なんとなくそんな気がしている。
そうやってなんとか生き抜いた先が地獄なら、その時にまた考えようと思う。地獄で書く日記もきっと面白い。
まとまらない雑文をツラツラ書きましたが、みなさんが幸せであることを祈ってます。
さて、僕のnoteはこれで最終投稿になります。ありがとうございました。お元気で。
甘いもの食べさせてもらってます!