「江戸時代って人を斬って殺してたの!?」「戦争の時代って銃とか爆弾で人を殺してたの!?」「令和の時代ってネットの誹謗中傷で人を殺してたの!?」

人間はいつだって野蛮です。その時代時代によって、方法は違えど、攻撃的側面を持っています。同じように優しい側面も時代時代によってあると思います。

学校の歴史を勉強していると、過去は野蛮な生活であり、信じられないことを行っているように思うでしょう。しかし、それは未来から現代を見た時にも同じようなことを言われているのかもしれません。

現代の当たり前は当たり前ではないのです。それは過去の歴史が証明しています。戦いに溢れていたり、政略結婚が当たり前であったり、奴隷制度があったり、ジェノサイドがあったり。

今の私たちは、どこかで最も優れていると傲慢にはなっていないでしょうか。数年前にはなかった技術が今あるからといって、私たちは優れた人間だと言えるのでしょうか?

新人に比べて仕事ができるからといって、会社の誰よりも能力があるからといって、あなたは優れた人間だと言えるのでしょうか?

誰かと比較し、優劣を付けたとして、そこに意味はあるのでしょうか?

常に当たり前を疑い、成長したことに驕らず、日々精進することは必要ではないでしょうか。

いくら精進しても、1000年後の人々には敵わないのかもしれません。しかし、そこと比べても意味がありません。つまりは、誰かと比べることにそもそも意味なんてありません。誰かと比べれは、全員がこれから先の誰かよりも劣っていることになるからです。

誰かと比べるのでなく、昨日の自分と比べればいい。昨日の自分より成長しているか、正しく生きているか、正しさを見つけられているのか、自分の歩く道が少し先まで見えるようになっているのか。

私たちはいつの時代も野蛮に生きて来ました。その一方で私たち人間は日々成長もして来ました。常に今に行うことは最善ではない。最善を日々追い求めていかなくてはいけない。

ひとりひとりが深く考える必要がある。よりマシな野蛮を目指して。

以上。

そいじゃあ、また来ます。

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