ヤン・エルスター『酸っぱい葡萄』要約(with『ちいかわ』)

 適応的選好形成という概念があります。
 提唱したのはヤン・エルスター著『酸っぱい葡萄』(玉手慎太郎訳)です。
 適応的選好形成は、要するに「あなたの欲求は本当にあなたの欲求ですか?」と問うものです。
 きわめて核心的な概念です。ですが、理解も難しいです。
 なので、例としてちいかわを引きます。

 エルスターの核心を突くところは、『社会科学の道具箱』でも「大人が子供のプレゼントに感動するのは、子供が大人を感動させようとしたからではなく、大人を喜ばせようとプレゼントを贈ったからだ」という指摘に表れています。

○第一章 合理性

(専門的すぎるため、ほぼ省略します。私の独断ではなく、訳者あとがきにも「2章からでもよい」と書かれています)

信念と欲求の広い合理性が、衝動もしくは認識的欠陥によって歪められる典型が4つある。(p.38)
 1. 適応的選好形成
 2. フレーミングによる選好形成(トヴェルスキーとカーネマンの研究が有名)
 3. 希望的観測
 4. 推論の失敗(ニスベットとロスの研究が有名)

○第二章 本質的に副産物である状態

副産物である、もしくは意識していないことが要求されるとき(p.70)
 スタンダールは青年時代、日記に「ありのままになる」という決意をしたためた。結局、的を得すぎるか、的外れになるかと分かり、諦めた。そして、その決意は小説の主人公に託された。
 不眠症。①心を空っぽにしようとする ②眠ることを諦める。が、本当はそうすることで、眠ることを期待している ③本当に眠ることを諦める そして、ようやく眠る。重症の不眠症患者は、諦めることの利益を知りすぎてしまっているため、③には決して到達しない。
 セラピストは不眠症患者に、不眠のあらゆる徴候を5分ごとに努めて注意深くノートに記録するよう指示する。そして、副産物として睡眠が訪れる。

副産物である状態は、否定的だけでなく肯定的でもありうる。(p.80)
 意志できるのは、飢えないことでなく食べること、謙虚さでなく大人しさ、徳でなく慎重さ、勇気でなく虚勢。

副産物である状態とは、理知的かつ意図的に生じさせられないもの。つまり、偶然にかつ自覚的でなく(特定の方法でなく)生じるもの。(p.88)

命令そのものが目的より重要になるとき(p.98)
 サルトル『存在と無』…恋人は「私を愛してくれ!」という命令に、他律的かつ自律的に従うことを願う。
 ヴェーヌ『パンと競技場』…セネカの悲劇に曰く「善き王は王ではない」。
 軍隊ではとくにこうした主客転倒が起こる。『優等兵シュヴァイク』『キャッチ=22』『恍惚の高み』。
 ディアギレフはコクトーに「私を驚かせて!」と言った。

印象づけるために仕組まれた行動ほど印象の薄いものはない。(p.108)
 ゲーテ『タッソー』…「下心が感じられると、嫌な気になります」
 ヴェーヌ『パンと競技場』…「ブルジョワたちを驚かせる」ことを豪語する芸術家は、ブルジョワたちの生活を真似しようとする人々と同じほど、ブルジョワたちと密接に結びついている。その作品により、ブルジョワたちはショックを受けるどころか喜ぶ。

(『レミーのおいしいレストラン』の最後のセリフは、注文を聞かれた料理評論家が言う「私を驚かせて!」です。レミーには残念ですが、エルスターによれば、この料理評論家を驚かせることはできません)

(『ちいかわ』のモモンガはひたすらかわいこぶろうとしていますが、かわいく見られようと意図しているため、かわいくなりません。結局、モモンガはかわいく見られようという意図をなくした、虚心坦懐な、本質的に副産物である状態で、はじめてかわいくなります)

(このあと、文学好きのエルスターらしく芸術論が展開されますが、省略します。また、政治論も省略します)

○第三章 酸っぱい葡萄

(a) 反適応的選好(p.185)
 自律と厚生が同調するため、とくに問題にはならない。

(許可制であることにより、酒への欲求が強まっています)

(b) 学習を通じた選好変化(p.186)
 学習と経験、つまり情報にもとづく選好なら不可逆。しかし、適応的選好なら可逆的。

(ちいかわたちに比較し、くりまんじゅうの好みは渋く洗練されています)

(c) 事前制約(p.190)
 選択肢の排除。

(自制。よくあることですね)

(d) 操作(p.191)
 アンチ・ユートピアとして『すばらしい新世界』を挙げるのは、目的と意図、機能と帰結のふたつを混同している。

(『ちいかわ』で言うところの労働の鎧さんですね)

(e) 計画的性格形成(p.194)
 ストア主義、仏教、スピノザ主義、等。
 ニーチェ『この人を見よ』に曰く、ルサンチマンは奴隷に似つかわしい精神状態だが、自覚的な運命愛は「人間の偉大さのための定式」。
 1. 適応的選好は過剰適応しがち。…曖昧さの拒絶、偏見、極論。 2. 適応的選好は手の届かない選択肢の格下げ、計画的性格形成は獲得した選択肢の格上げを行う。…嫉妬、怨恨、敵意のフィードバック・ループの回避。 3. 自由

(『ちいかわ』世界に来たモモンガは、自足しているというか、計画的性格形成に似た欲求充足を達成しています)

(対して、夜勤明けの朝食を喜ぶちいかわたちは、適応的選好形成であることが疑わしいです)

適応的選好形成。ここでのキメラは、もはや元に戻れないためにキメラとしての生を全うしようとしています)

計画的性格形成

適応的選好形成の失敗。なお、筆者は最近の『ちいかわ』での、うさぎのメアリー・スー化は寒々しく感じています)

(f) 属性ウェイトの事前変化(p.198)

(三つ星レストランと値段のトレードオフで、三つ星レストランに重みづけします)

(g) 嗜癖(p.199)

(嗜癖による過食)

(h) 事実的状況依存性を持つ選好(p.200)
 可能的状況依存性と連続的。
 1. 選択を逆転させるコスト 2. フレーミング

(選択肢がないため、囚人の糧食を強いて味わおうとしています)

(i) 合理化(p.201)
 適応的認知。状況の評価より知覚を優先させる。

(同じ場面より。監禁を合理化しています)

・権力はどう判定されるか。(p.206)
 実際の欲求でなく仮定の欲求を基準にすべき(アイザリア・バーリン)。また、権力は因果関係から判定されるべき。

・自由の4つの概念(p.208)
 1. 自由な行為 2. 自由であること 3. 自由な人間 4. 自由な社会
 1-1. 実際的な自由 1-2. 形式的な自由
 1-1-1. 外的な障害 1-1-2. 内的な障害
 1-1-1-a1. 人工的(-1. 意図的 -2. 偶然的) 1-1-1-a2. 自然的 1-1-1-b1. 個別的 1-1-1-b2. 集合的

・自由について、バーリンは欲求充足の数と非主観的な重要性を主張した。(p.209)
 …だが、これは選好をふたたび密輸入してしまうだろう。

・自由(p.210)
 1. 行為 2. 自律的欲求 の数と重要性による。

・自律(p.212)
 適応的選好形成はある行為を行うか行わないか選択する自由「行為に関する自由」で排除できる。

・厚生と自由は異なる。(p.215)
 1. 実行可能な選択肢集合の大きさ 2. 欲求が①に内包されていない 
 換言すれば、①における最善の要素が、より包括的な集合でも最善。
 …なら、適応的選好でありにくい。

・選好が自律的であるための条件(p.216)
 選択肢集合の変化による選好の逆転が排除されていること。
 …ex. 強制収容所の看守であるより囚人でありたいと思う市民が、囚人になったとき。都会の仕事に就いた農民が、農村における仕事の順位まで変える。

・自律性条件が厚生と関係するのは、基数的でなく序数的な枠組みのときのみ。(p.219)

・欲求の自律が欲求充足より優先される場合。(p.224)
 精神安定剤による社会問題の解決や、適応的選好形成による心の平穏。
 エンゲルス『イギリス労働者階級の状態』…「きわめてロマンティックで居心地は良いけれど人間には値しないような生活」

・正義の理論、社会選択の理論が満たすべき基準(p.226)
 …功利主義が問題になるとき。
 1. 行為の指針になる(パレート最適だけでは不十分) 2. 倫理的直観に反しない

・反適応的選好は当然、破滅的。(p.227)

・適応的選好は自律の次元では良くとも、厚生の次元では悪くなりうる。(p.228)

・計画的性格形成(p.229)
 1. 実現可能な物事を格上げするために、つねに良い。
 2. 最適な欲求不満を目標にしうる。…ライプニッツ「不安は被造物の至福にとって本質的である」

・功利主義への反論は、ノージックの結果状態原理にも該当する。信念・欲求についての真理・善は、心的な状態は独立的であるために、結果状態的。しかし、合理性・自律については、それがいかに形成されたかに依存する。
 合理的かつ公共的な議論を通じて欲求を変化させることは、歴史を通じて過去に向かうことでなく、未来に向かうことなのだ。(p.232)

○第四章 信念・バイアス・イデオロギー

(主なところはイデオロギー理論とヘゲモニー理論への批判ですが、省略します)

・自己欺瞞の両立不可能な信念の保持という定義は誤り。(p.249)
 むしろ、もう一方の信念の意図的な忘却というパラドックス。
 フロイト、サルトル、ロイ・シェーファー、ハーバート・フィンガレットはこのパラドックスをより複雑にするだけだった。

(「心がふたつある〜」を鑑みると、自己欺瞞の定説に対するエルスターの批判はもっともです)

・希望的観測は自己欺瞞より簡単な代替(p.249)
 1. 自己欺瞞の失敗
 2. 高階の信念に対し、低階の信念を破棄する
 3. 性格改変の失敗
 4. 未来における信念形成。事後の意図的な忘却
 5. 希望的観測
 …自己欺瞞に対し、誤信が証拠によって支持されていてもいい。正当化された自己満足、正当化された悲観主義。
 信念が合理的と言えるためには、証拠との比較だけでなく、因果関係が必要。

希望的観測はハチワレが長編の導入部でよく見せています)

・信念の効力は真実であることより、一般に受けいれられていることによる。(p.262)
 そのため、不平等の必要性に関する自己利益的な理論はめったに成功しない。


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