喉飴

それは些細で突拍子もない出来事だった。

朝、目覚めた時に足の痛みを感じる。引っ張られて、動かすと痛むようなものだった。

それだけなら、たまに起こっていたことだからいいが、しばらく足を伸ばしたときも、突如、膝がつった。

これは日頃の食生活が原因なのか?主食をお菓子で済ましていることが祟ったのか?無知な私はさらに結論づける。

そうだ、牛乳分を取ろう----



そうして、さらなる悪運の要因を自ら呼び起こしたのであった。



普段の食をお菓子で済ましているような人間が、冷蔵庫に牛乳を常備しているわけもなく、その場にあったのは、牛乳飴であった。脳みそが残念な私は、これでいいかと一つ口に放る。この間のイベントで同行者に貰ったものであったので、名残惜しさと共に舐め、絵を描こうと席に着く。


そこで事件は起こる。


なんのイタズラか、喉の変なところにアメが転がるのを感じた。また二舐めくらいしかしていないのにである。舌を下手に動かせない位置に移動した飴を為す術もなく、飲み込もうとする。何も出来ない。飲み込むのが辛いのかという疑問に対しては、大きな丸い塊を喉口に入り込ます作業を想像して欲しい。噛み砕いてもない、舐めて数秒くらいしか経っていない飴をである。すっぽり収まっているような、ぎりぎり手前で引っかかっているような、とにかく異物感が凄いのである。その間、口内は動かせず、ゆっくり鼻で呼吸する。口内の異物を慎重に扱うよう心がけるため、変に意識が呼吸に集中する。

どうしよう、と思うが声も出せないし、身体も動かせない。

何か別のことを考えて、意識を分散させたい。そう思って、作業用で付けていたYouTubeを再生する。聞いたことの無い曲のPVを空目で見る。

あかんわ、と冷静な自分がツッコミを入れる。

意識を分散させても状況は変わらない。必死に何度も飲み込もうとするも、喉の奥で牛乳飴の甘さのような酸味のような味覚と、大きな丸い塊の触覚を感じて辛い。喉を通るなら通って欲しいし、戻るなら戻って欲しいが、舌もあまり動かないので変わらない口内。汚さは分からないが、さっきご飯食べたしと、指を突っ込んで動かそうとするも、触れない現状。

何度かその試みを試した後に、そもそも飴玉をそのまま飲み込んで大丈夫なのか、ということを心配になってネットで調べる。そのときも、飲み込もうと試みても、喉奥で飴玉の形を感じて閉塞感を覚えただけであった。

溶けるもんだから大丈夫、という回答に安心しつつ、今の状況は飲み込んでいる状態で合ってるのか?と分からなくなる。検索結果に出てきた、心臓がどうの~の文字に、そのように感じようもないよなという判断で、これはまだ引っかかっているという事を認知。


何がきっかけかは分からないが、何回目の飲み込みへの挑戦によって、嚥下できた。食堂をゆっくり通る飴玉の触覚。息が詰まる閉塞感が徐々に下降していくのを感じたのだ。そのあとの喉の閉塞感、そして開放。ようやく息を大きく吐く。直前に心臓への痛み云々の記事を読んでいたからか、異物感を覚えるも、肩を大袈裟に上げて下げる呼吸を一つ。

飴玉は、本来の役割をほぼ果たさず、私のちょっとしたトラウマに成り得た。


これが今日の、喉飴である。

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